【とんねるずのスポーツ王は俺だ2024】無料動画・見逃し配信!

テレビ朝日で毎年お正月に放送されているスポーツバラエティ番組「夢対決2024とんねるずのスポーツ王は俺だ!!25」の無料動画や見逃し配信の無料視聴方法、再放送などについて紹介したいと思います。

気になる番組は何回も見たいし、TVer(ティーバー)やabema(アベマ)、加入者の多いHulu(フールー)やNetflix(ネットフリックス)など、どういったサービスで観れるんだろう?って気になりますよね?

YouTube(ユーチューブ)やbilibili(ビリビリ)、Dailymotion(デイリーモーション)、9tsu、miomio、Pandora(パンドラ)など違法アップロードサイト以外の「夢対決とんねるずのスポーツ王は俺だ」の動画配信に関してなのですが、「夢対決とんねるずのスポーツ王は俺だ」は現在動画配信サービスでの配信は行われておりません。

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「夢対決とんねるずのスポーツ王は俺だ」以外にU-NEXTで見れる動画

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「とんねるずのスポーツ王は俺だ!!」2024

夢対決2024とんねるずのスポーツ王は俺だ‼
渋野・岩井ツインズ&国枝・石川佳純&伊東純也ら超豪華アスリート集結‼水谷豊&小栗旬も参戦‼侍ジャパン・近藤健介&鈴木誠也と名勝負‼富樫vs河村バスケ対決も‼

【リアル野球BAN対決】
WBC制覇!侍ジャパンの戦士が集結し、石橋ジャパンと激突‼さらに、メジャーリーガー・鈴木誠也が緊急参戦‼超ド級パワー!豪快ホームラン合戦‼史上最高の“名勝負”がここに…。WBC名場面爆笑再現…ゴルゴ&杉谷劇場、今年も開演‼ロッテ場内アナウンス・谷保さん現役最後の大絶叫‼

【ゴルフ対決】
最強の双子ゴルファー・岩井ツインズが初登場!衝撃ショットに一同大興奮‼水谷豊が“相棒”右京さん姿で!叫んで、走って大奮闘!リベンジに燃える小栗旬が2年連続登場‼今年も“飛びます”浮島キャッチング!ゴルフ対決史上、最多人数で爆笑対決‼

【サッカー対決】
“史上最強”の呼び声高い森保ジャパン‼超貴重!海外組が豪華集結!伊東純也&キャプテン・遠藤航が初登場‼新競技!劇的ボレーで、目指せ人類最速ゴール‼日本代表の仰天・神業キック連発に大興奮‼代表vs代表…ガチPK対決‼

【バスケットボール対決】
2023年の夏、日本中を沸かせたバスケ日本代表が集結!ここでしか見られない!富樫勇樹vs河村勇輝の夢の“Wユウキ”対決!出た!豪快スラムダンク‼決まった!超難関ディープスリー‼奇跡のプレー続々!男女スター選手がガチ対決‼

【テニス対決】
3年ぶりに復活!伝説のレジェンド・国枝慎吾vs17歳の超新星・小田凱人!新旧世界王者のここでしか見られないガチ対決‼松岡修造&伊達公子が大暴れ!衝撃サーブ&仰天ラリーの連続…‼石川佳純もテニスに緊急参戦!石橋貴明が渾身ボレーで魂の雄叫び‼

「とんねるずのスポーツ王は俺だ2024」の出演者

とんねるず(石橋貴明・木梨憲武)
【リアル野球BAN】鈴木誠也、近藤健介、甲斐拓也、松本剛、ゴルゴ松本、吉岡雄二、原口文仁、杉谷拳士、谷保恵美
【サッカー】伊東純也、遠藤航、谷口彰悟、古橋亨梧、シュミット・ダニエル、相馬勇紀、菅原由勢、小久保玲央ブライアン、デューフ・エマニエル凛太朗、矢部浩之、中田浩二、伊藤淳史、ローランド、中澤佑二、シュウペイ

【ゴルフ】岩井明愛、岩井千怜、山下美夢有、原英莉花、渋野日向子、小祝さくら、水谷豊、小栗旬、谷繁元信、里崎智也
【テニス】国枝慎吾、小田凱人、加藤未唯、ダニエル太郎、石川佳純、松岡修造、伊達公子
【バスケットボール】富樫勇樹、河村勇輝、ジョシュ・ホーキンソン、馬場雄大、吉井裕鷹、原修太、八村阿蓮、髙田真希、馬瓜エブリン、宮崎早織、満島真之介

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「夢対決とんねるずのスポーツ王は俺だ」について

「夢対決とんねるずのスポーツ王は俺だ!!」は、テレビ朝日系列で2000年から開始されたスポーツバラエティ番組(正月特別番組)である。また、2012年からは夏、もしくは秋にも放送されている。

とんねるず(石橋貴明・木梨憲武)がメイン司会を務める長寿番組であり、とんねるずの冠番組。ステレオ放送、文字多重放送、ハイビジョン制作を実施。通称は『スポーツ王』もしくは『とんねるずのスポーツ王』。

とんねるず(石橋貴明・木梨憲武)とプロスポーツ選手がさまざまな種目のスポーツで対決するというもので、かつて日本テレビで放送されていた『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の各種スポーツ真剣対決のコーナーを受け継いだもの。とんねるずが単独で対決を挑む場合もあれば、助っ人数名とともにチームを組んで挑む場合もある。2004年までは対決前に挑戦状を読み上げていた。

番組では初期から野球・ゴルフ・サッカーの3競技をベースに、正月のみテニス・卓球などのその他の競技が加わる形が定着している。各競技とも、プロ選手と競技をただ行うわけではなく、ショーアップした上でゲーム性を強めた独自ルールで戦う。

とんねるず側には一定のハンデが与えられるが、とんねるず側が「いかさま」のような行為をして、プロ側が舌を巻くのもお約束となっている。

放送日は2000年の放送開始から毎年1月2日もしくは1月3日のどちらかで、毎年15%以上の安定した視聴率を記録する正月の風物詩的番組となっている。2009年は放送10回目の節目にあたり、「テレビ朝日開局50周年記念番組」として放送時間をこれまでの2時間半から倍の5時間に拡大しての特別番組として放送され、以降も放送時間は5時間で固定されている。

2012年7月1日には『とんねるずのスポーツ王は俺だ!! 真夏の猛特訓スペシャル』(とんねるずのスポーツおうはおれだ!! まなつのもうとっくんスペシャル)と題して初めて夏に放送を行なった。内容はゴルフ・サッカー・リアル野球BANの3競技が基本となる。ただし2016年・2018年はゴルフが無く、とんねるず2人が共演することがなかった。

これ以降、夏にも3時間枠で放送され、冬と併せて、冬の5時間と夏の3時間の年2回の放送が定着している(ただし、後述解説する通り、年によっては夏と秋の放送になることもある)。また本編の放送直前に「直前スペシャル」が放送されるのも恒例化しており、過去の名場面に加え本編で未放送の競技や舞台裏の様子も放送される。また、2020年5月3日の18:30 – 22:50には、2020年冬放送分で構成された特別編が放送された。

放送する競技の順番は特に決まっていないがゴルフが最初に放送されることが多く、リアル野球BANは基本的に最終競技として放送される。

第12回の2011年1月2日(日曜日)の放送分で、全曜日での放送を網羅した。

現在、とんねるずが出演する唯一のテレビ朝日のバラエティ番組であると同時に、2018年3月にフジテレビの『とんねるずのみなさんのおかげでした』が放送終了したことに伴い、同年4月以降はとんねるずが出演する唯一のレギュラー番組となっている。

2007年は参院選出馬前の丸川珠代がテレビ朝日のアナウンサーとして出演した最後の番組である。

この番組をフォーマットした番組が2015年6月30日にアメリカFOXで『ビート・ザ・チャンピオンズ』として放送された他、ドイツでも現地制作版の放送が決定している。

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「とんねるず」について

「とんねるず」は、石橋貴明と木梨憲武からなる日本のお笑いコンビ、歌手。1980年結成。所属事務所は石橋がアライバル、木梨がキナシコッカ。所属レコードレーベルはポニーキャニオン。

1980年、帝京高校の同級生である2人によりコンビ結成。1982年に『お笑いスター誕生!!』でグランプリを獲得。1980年代半ばに『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』の出演によって若者を中心に爆発的な人気を獲得。同時期の1985年に始まった『とんねるずのオールナイトニッポン』は、目玉のフリートークと数々の名物コーナーが受け「ハガキ職人」を多数輩出、多くのリスナーに多大な影響を与える深夜ラジオ史に残る名番組となる。1987年には『ねるとん紅鯨団』が始まり「ねるとんブーム」を起こし、深夜番組ながら視聴率上位常連の大ヒット番組となる。翌1988年には彼らの代表番組となる『とんねるずのみなさんのおかげです』が始まり、開始直後から20%越えの高視聴率を記録。社会現象になるほどのお化け番組と化し、彼らの地位を確立した。その後も『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』『とんねるずのハンマープライス』『とんねるずのみなさんのおかげでした』などの名番組を輩出する。

一方歌手としても活躍し、数々のヒット曲を生み出している。1991年「情けねえ」は日本歌謡大賞大賞受賞、1992年「ガラガラヘビがやってくる」はミリオンヒットを達成した。全国コンサートツアーも1995年まで毎年開催しており、1989年11月には東京ドーム公演を成功させている。

コンビ名の由来
コンビ名の由来は、当時日本テレビのゼネラルプロデューサーであった井原高忠が貴明のTと憲武のNをもじった「とんまとのろま」と「とんねるず」を提案して本人たちに選ばせたことから。「とんねるず」というコンビ名に関して井原は(脱線トリオ、てんぷくトリオに続く)次代のお笑いスターになって欲しいという願いと、素の2人を見て「暗い奴ら」と思ったのをかけたという。

芸風
コンビだがボケとツッコミの役割は特に分かれていないスタイルで、ネタ作りは石橋が担当している。デビュー当時のプロフィールには「カリスマ芸人」と記載していた。二度目の下積み時代(新宿御苑のパフォーマンスバー「昆」時代など)を経て破天荒な芸風へと変わっていった。

『オールナイトフジ』出演以降に若さとエネルギー全開「──ナ! わけだァ!」節炸裂の過激トークや、スタジオで所狭しと暴れるなどの行動が日常的だったがこれと伴って同時に人気を獲得することとなった。特に『夕やけニャンニャン』ではアイドルによって態度が激しく違うため、自分が好みのアイドルが不本意なイジられ方をすると「あの石橋や木梨の態度は絶対に許さない」とアイドルファンから不平不満を買った。一方でスタジオ観覧の若者が「とんねるずに蹴られた」のを自慢する時代でもあった。

とんねるずのトークの中にはその時代の流行を反映した言葉が多く用いられている。例えば「○○みたいな。」と語尾に「みたいな」を付ける言葉は若者中心に使われているが、これは主に東京近郊の女子大生が使う言葉を敢えてとんねるずがテレビで誇張して用いる事で、全国的に広まった。他にも『ねるとん紅鯨団』から端を発した「ねるとんパーティ」「ツーショット」、『ねる様の踏み絵』で使われた「元サヤ」など彼らが発信元となった言葉は数多い。

また芸能界・テレビ界でよく使われる専門用語、いわゆる「業界用語」を多用して広めた経緯があり、今では一般でも使われている事がある。彼らのファンを『ワンフー』と呼んでいるのもここから起因している。

「内輪ネタ」もとんねるずの大きな特徴。ただしこれは一部の放送関係者だけに理解できる発言であることも多く、その発言内容は一般視聴者にはいまいち分かりづらいものである事も多かった(古くは『オレたちひょうきん族』でもこの傾向は見られ、当時は「楽屋落ちネタ」と呼ばれた)。また、『とんねるずのオールナイトニッポン』ではトーク内容がほとんどスタッフ(放送作家・マネージャー・プロデューサー・高校時代の友人など)の話題で占めるため、ハガキ職人の書くネタの内容もその話題を受ける格好で放送関係者絡みのネタが目立った。

業界の慣例だった製作会社社員・スタッフに支給される弁当とタレントの弁当にあった区別をとんねるずが取っ払った。そのスタイル「各業界に壁などない」「スタッフ、素人が同じ舞台に居る」という形が『ねるとん紅鯨団』、「野猿」の結成でありその「一般人、スタッフネタ」から生まれた番組企画、コントも多数企画された。

とんねるずを育んだもの
2人とも幼少時からテレビ好きであり、特に『8時だョ!全員集合』のザ・ドリフターズをはじめ『カックラキン大放送!!』の堺正章・井上順・ラビット関根や、「ベンジャミン伊東」の伊東四朗、「小松の親分」の小松政夫、萩本欽一(コント55号)、密室芸人時代のタモリなど漫才ブーム以前のバラエティ番組全盛の時代の影響が強い。漫才ブームの時期は共に部活動で多忙を極めていた事もあり、ビートたけし(ツービート)以外に受けた影響は少ない。

デビュー当初は喜劇俳優である由利徹と絡む事が多く、共演時のとんねるずは素人時代に戻ったかのように彼の芸を心から笑ってしまう場面も多々あり、前にあまり出る事はしなかった(時代背景としてあまり前に出られなかった環境でもあった)。そのほか若手の時代には、由利徹やクレイジーキャッツのハナ肇、植木等らのエンターテイナーや喜劇俳優、美空ひばりや堺正章・タモリらには公私共に可愛がられていた。また、一時期からは共演NGも噂されたが、若手時代には明石家さんまとも「兄貴」と呼ぶほど親交が公私にわたって存在し、さんまと木梨は現在でもゴルフをする仲である。木梨は所ジョージや志村けんといったのちのお笑い界の大御所と呼ばれる人々とも親密な関係である。また、笑福亭鶴瓶と木梨は一時期毎週のように遊ぶ関係であったが、意外にも若手時代は親密というほどの関係ではない。また、とんねるず飛躍の要因の一つとして、業界の裏方の実力者とも若手時代から特に石橋が親交を築いた。フジテレビの名物プロデューサーの石田弘をはじめとする港浩一などの通称石田班、秋元康・テリー伊藤などは若手時代から深い繋がりを持った。

1991年から2000年にかけて、苗場プリンスホテルのブリザーディウムで開催していた、コントライブ『こんと いん なえば』は、テレビとは違った本格的コントを生の舞台で客を笑わせることを重視していたが、元々舞台上に一切のセットを置かず、己の体ひとつで笑いや感動を与えていたイッセー尾形の『一人芝居』に触発されている。

バラエティ以外で影響を受けた者としては長嶋茂雄、矢沢永吉、アントニオ猪木、『傷だらけの天使』の萩原健一、江川卓らが挙げられる。

素人時代
共に東京都出身で帝京高等学校卒業。在学中の石橋は野球部、木梨はサッカー部へ所属。この2つの部は互いに交流が盛んで、部室内でのモノマネや一発芸などの披露を通じ、それぞれの部の「一番面白いヤツ」とお互い認識したのが出会いのきっかけ。当時は主に先輩や先生のモノマネなどで、共に校内の人気者だったという。

石橋は高校在学中から『ぎんざNOW!』(TBS)や『TVジョッキー』(日本テレビ)をはじめとした、素人参加番組の常連であり、アントニオ猪木のモノマネやスポーツ選手の形態模写をはじめとする芸で一部の視聴者から注目されていた。なお同時代のライバルには竹中直人がおり、『TVジョッキー』のザ・チャレンジ(素人お笑い勝ち抜きコーナー)の第1回グランドチャンピオン大会では、第3代チャンピオン石橋と初代チャンピオン竹中が対決している。このときの勝者は石橋で、初代グランドチャンピオンを獲得した。また、木梨も第5代チャンピオンを獲得。木梨が出場した第2回グランドチャンピオン大会には、石橋も出演している。

石橋ほどの頻度ではないが、主に和田アキ子のモノマネで素人参加番組に顔を出していた木梨を高校卒業の記念として石橋が誘い、所ジョージ司会の『ドバドバ大爆弾』(テレビ東京)に出演したのがコンビとして初めてのテレビ出演となる。『お笑いスター誕生!!』の出演までは、賞金を合計で多く得ようと意図的にバラバラで出演することもあったという。

お笑いスター誕生への挑戦
帝京高校卒業後、西武ライオンズのトライアウトで不合格となっていた石橋はホテルセンチュリーハイアットに入社しホテルオークラで研修、木梨はダイハツ工業に入社と、2人とも一般企業に就職するものの、『お笑いスター誕生!!』へのチャレンジ決意を機に2人とも退社して再会。当時のコンビ名は「貴明&憲武」。漫才だけではなく、モノマネや一発ギャグ、アニメの『魔法使いサリー』や『サンダーバード』のパロディ、学校やアイドルタレントの一コマを演じるコントなど面白いものは何でもエネルギッシュに演る多彩さで、素人ながら4週目まで勝ち抜く。それを契機に2人は勤務先を退社し、プロデビューへと意志を固める。

「とんねるず」結成、プロデビュー
退社後の1980年に正式にコンビ結成。コンビ名も「とんねるず」と改め『お笑いスター誕生!!』にプロとして再挑戦して挑むが、10週目で落選してしまう。またこの時期、同番組担当の日本テレビ・赤尾プロデューサーの紹介で赤坂のクラブ「コルドンブルー」におぼん・こぼんの後釜として所属したが、クラブの客層に芸風が合わずハマらなかった。

『お笑いスター誕生!!』では、1981年に開催されたゴールデンルーキー賞の15組にエントリー。決勝まで進むが、アゴ&キンゾーに敗れて特別敢闘賞(事実上の第2位)に終わった。1982年4月10日には10週目に合格、グランプリを獲得した。その後も1983年末まで歌合戦などの企画や、グランプリ受賞者のネタ披露コーナーなどへ定期的に出演した。

1981年には西城秀樹司会の朝の情報番組『モーニングサラダ』(日本テレビ)にレギュラー出演したが、些細な事から赤尾プロデューサーと衝突。一貫して日本テレビ系番組出演タレントだったとんねるずは、同局から完全に干されることになる。この間は新宿御苑のパフォーマンスバー「昆」(後にKONと改名)に出演するなど、下積み時代を過ごした。また、この頃は同じショーパブ系タレントであるビジーフォー(いそがしバンド)やアゴ&キンゾーらと交流を持ち、特に石橋はグッチ裕三宅に居候していたこともある。石橋とグッチは当時のグッチの妻にゲイと誤解されるほど、仲が大変良かった。

1983年頃、所属事務所を通さず友人の結婚式の司会をコンビで引き受け、これを知った事務所社長が激怒して一時期テレビに出演できなくなってしまった。

スーパーの駐車場やデパートの屋上などで木箱をステージ代わりにして、営業回りをしていたこともあった。しかし営業は結構いいお金稼ぎになり、食べていくには苦労しなかったと明かしている。さらにこの頃は既に『オールナイトフジ』への出演が決まっていたので、夜は連日豪遊していた。

その後、西城秀樹の初代マネージャーだった秦野嘉王が設立した新事務所「オフィスAtoZ」の所属第一号タレントになり再浮上の機を窺うことになった。秦野は当時のお笑い芸人には無縁だったスタイリストをとんねるずに付け、派手なブランドの代名詞でもあったK-FACTORYの衣装をコンセプトとするなど、イメージプロデュース戦略を図った。また現在に至るまでとんねるずの重要なブレーンであり、彼らの楽曲の作詞を行っている秋元康との出会いもこの時期である。

人気の拡大(全盛期)
1983年12月、フジテレビ系の深夜番組『オールナイトフジ』を皮切りにテレビ復帰。当初は番組後半に5分のコーナー「とんねるずの見栄講座」をもらったものの、番組内での些細なトラブル(石橋曰く「誤解によるもの」)によって、1984年1月に一旦降板。半年後の同年6月にレギュラーへと復帰している。その後「とんねるずの何でもベストテン」「とんねるずなっわけだぁ!」とコーナーや番組内の放送時間が早まるにつれ人気を集め、翌年に放送した同番組の「女子高生スペシャル」の発展形としてスタートした『夕やけニャンニャン』(フジテレビ、1985年 – 1987年)では片岡鶴太郎や吉田照美を脇役に追い立てるほどだった。

その後も『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)『深夜劇場・トライアングル・ブルー』(テレビ朝日)などレギュラー番組を増やしていく。『とんねるずのオールナイトニッポン』(1985年 – 1992年)では火曜1部を担当し、数々のコーナーを輩出。聴取率ランキングでは当時絶大な人気を誇っていた『ビートたけしのオールナイトニッポン』を抜き、『小泉今日子のオールナイトニッポン』と熾烈な競争をしていた。『トライアングル・ブルー』では可愛かずみ・川上麻衣子・前田耕陽などと共演する。

またこの頃、『新・ど根性ガエル』(日本テレビ)のテーマ「ピョン吉・ロックンロール」の後にリリースされた「ヤバシびっちな女(め)デイト・ナイト」以来のシングル「一気!」をリリース。その際には、TBS系の音楽番組『ザ・ベストテン』でのコーナー「今週のスポットライト」に登場。この出演をきっかけに、深夜番組だけでなく、本格的にとんねるずが世に知られることとなった。同曲は『オールナイトフジ』のコーナーでも毎回歌われ、勢い余ってセットの高所や吊り下げられた照明によじ登ったり、1500万円のテレビカメラを壊すなどの行動や、自ら勝手に「カリスマ芸人」と名乗るなどの行動や言動を見せた。1985年には、「一気!」の人気から断交状態にあった日本テレビが動き、ビートたけし司会の『スーパージョッキー』に歌手としてとんねるずを呼ぶことで、当時の関係者だけが知る「確執の事実上の“手打ち”」となった。この際、ビートたけしととんねるず(特に石橋)はお互いに意識しあい打ち解けるような雰囲気ではなく、常に緊張感が漂っていたという。後にこの2組は番組で共演することになる。

『オールナイトフジ』 – 『夕やけニャンニャン』などいわゆる石田班の看板的存在になっていたため、当時確執があった横澤彪率いる横澤班の本丸的な番組であった『オレたちひょうきん族』に「一気!」で「ひょうきんベストテン」に出演した際、ひょうきん族レギュラー陣にリンチに等しい、過激なリアクションを課された。その際に2人は「もう日テレには出ないから勘弁してくれ」と漏らしており、日本テレビの出演解禁により蜜月のフジテレビとの関係が冷えることを危惧した石田が、横澤にとんねるずの出演を派閥の壁を越えて懇願し実現した出演であった。なお当時石田班、横澤班両方の番組に出演できたタレントは、片岡鶴太郎ら数人しかおらずこの派閥争いにより横澤班の代表番組の1つで若手タレントの登竜門的な存在である『笑っていいとも!』のレギュラーにはなれなかった。しかし石田・横澤とも第一線から退いた2014年(横澤は2011年死去)、29年ぶりに『笑っていいとも!』へ出演した際にタモリに対して直訴、番組終了まで念願のレギュラーとなっている。

この当時は『新春かくし芸大会』(フジテレビ)にも出場しており、映画『南極物語』のパロディに、ペンギンの着ぐるみ姿で顔すら判別しにくい状態でセリフなしの数秒のチョイ役出演や、中森明菜と体を張ったカマヌンチャク芸を披露するなどしていた。彼らは不遇な扱いを受けていた頃を皮肉る時に「あの時はペンギンでした」と例に挙げることがある。

1980年代、巷でタレントショップブームが巻き起こった際には彼らも、「セシカ」や、当時の番組『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ)とのタイアップショップ「バレンタインハウス」を原宿や京都に出店しており、関連グッズをヒットさせた。

女性からの人気も獲得しており、『ザテレビジョン』(角川書店)や『明星』(集英社)などさまざまな雑誌の表紙を飾った。

黄金期(1987年 – 1995年)
1987年10月『上海紅鯨団が行く』を引き継ぐ形でスタートした『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ放送制作、フジテレビ系)がヒット。初年度から深夜枠ながらバラエティ年間平均視聴率ランキング3位にランクインした。当時IVSテレビ制作で番組の企画・総合演出などをしていた伊藤輝夫(現:テリー伊藤)や後藤喜男と出会ったのがこの時期。一般参加者による集団お見合い形式の企画が好評を得、集団お見合いパーティーそのものが『ねるとんパーティー』と呼ばれることもある。また1986年から火曜ワイドスペシャルで数回特番を行い、1988年10月からは、『とんねるずのみなさんのおかげです』がレギュラー放送を開始。番組内では、『仮面ノリダー』『保毛尾田保毛男』などのコントやパロディを披露した。当時裏番組として、国民的人気番組であるザ・ベストテンがTBS系列で放送されていたが、2週目の放送で辛勝。3週目でダブルスコアをつけての完勝となった。初年度から年間平均視聴率21.4%という驚異的な数字を叩き出し、1989年から94年にかけて年間平均視聴率ランキングで、全局・全ジャンルで1位をキープした。1989年3月のスペシャル時には番組シリーズで過去最高29.5%の視聴率を記録した。更にこの頃には、13本のCM契約もしていた。1991年10月には、『闘牛』『カートグランプリ』『PK対決』などロケ主体のコーナーが人気を得た『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ)が開始した。

1995年には、一時期疎遠状態になっていたTBSでの初のレギュラー番組『ねる様の踏み絵』が開始。さらに同年1月には『ねるとん紅鯨団』の後継番組として開始したバラエティ番組『とんねるずのハンマープライス』(『ねるとん』と同じく関西テレビ制作、フジテレビ系)も開始した。

レギュラー番組をこなしながら、並行して音楽活動や俳優活動などのマルチタレントとしての活動も行い、「情けねえ」「ガラガラヘビがやってくる」をはじめとする曲がヒット。また1995年まで毎年全国コンサートツアーも開催する。1991年大晦日には『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。

テレビ、ラジオ、歌、CMなどメディア上での活動の傍らで、1991年から2000年の10年間、毎年3月初旬に苗場プリンスホテルのブリザーディウムにて、単独コントライブ『こんと いん なえば』を開催する。

1994年には独立して個人事務所「アライバル」を設立。石橋が社長、木梨が副社長、残る所属タレントや事務員が平社員を務めた。当時の事務所に向かっていた途中、六本木・星条旗通りでお互い運転していた車を降り、「独立すればもっと正しい方向に向かう」と考えた石橋が、立ち話で木梨に独立の話を持ちかけた。木梨は「貴明がいいならいいよ」と二つ返事で了承したというエピソードがある。その後1997年2月に関西テレビを定年退職したフリーアナウンサーの杉本清を迎え入れ、その3年後の2000年には女猿のメンバー4人がいずれも平社員として所属した(女猿は2004年に解散し同時にアライバルを退社)。2008年12月には女優の鈴木保奈美を同じく平社員として迎え入れるものの、2018年に木梨がアライバルを退社した。これにより副社長は空席となっている。

安定期(1996年 – 1999年)
コンビ人気が安定期を迎えていた1990年代後半(特に1996年以降)に差し掛かると、ピンでの活動も活発になり始める。

木梨は1996年5月、「憲三郎&ジョージ山本」という演歌ユニットでヒットし、同年のNHK紅白歌合戦出場を果たしている。また1998年1月にはドラマ『甘い結婚』(フジテレビ)で個人初主演を果たした。

一方石橋は、1996年10月に初の単独司会によるレギュラー音楽番組『うたばん』(TBS)の放送が始まり、2010年3月まで13年半続いたメジャー音楽番組となった。また1997年2月に工藤静香とのユニット「Little Kiss」がヒット。1998年7月には三谷幸喜脚本のドラマ『今夜、宇宙の片隅で』(フジテレビ)に主演した。

1997年3月、『とんねるずのみなさんのおかげです』が完全終了した。同年6月に『とんねるずのみなさんのおかげでした』と改題、リニューアルし放送開始。この頃には出演する番組が軒並み高視聴率を記録している。なお、とんねるずのみなさんのおかげでしたはスタート初年度から年間平均視聴率ランキングでは3位にランクインし、とんねるずの生でダラダラいかせて!!も1999年まで常にベスト5をキープ、とんねるずのハンマープライスも裏番組に苦戦しつつもベスト10常連の番組であった。石橋単独出演のうたばんも音楽番組では2000年まで最も平均視聴率が高く、その後も1位争いを繰り広げていた。またコンビ・個人合わせて最もレギュラー番組を抱えていたのがこの時期である。

2人揃っての活動としては、フジテレビの番組スタッフと組んだ音楽ユニット『野猿』で1998年4月にデビューし、2001年までCDのリリースやコンサート開催などの活動を展開した。2人が音楽活動で揃うのは1996年にシングル「おまえが欲しい」を発売して以来2年ぶりとなった。

2000年代
2000年1月3日に、『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』(テレビ朝日)が、正月番組として開始。番組内ではとんねるずが、一年を通して活躍した話題のプロスポーツ選手を迎えて様々な競技で対決している。10周年を迎えた2009年以降は5時間の大型特番として放送されている。2012年からは夏版も放送が開始。そして2019年には正月版が20回目を迎えている。

2004年の『FNS27時間テレビ』(フジテレビ)内で放送された『笑わず嫌い王決定戦』で、久しぶりにコンビ漫才を披露した。

2004年 – 2007年、木梨は歌・コント・フリートークを交えたソロライブ「NORITAKE GUIDE LIVE」を開催した。

2008年10月、フジテレビの木曜9時枠で冠番組をスタートさせてから丸20周年を迎えた。なお、同枠は1988年10月に『とんねるずのみなさんのおかげです』が正式なレギュラー番組となって以来、途中ドラマ出演による半年間の充電期間や『ラスタとんねるず’94』『とんねるずの本汁でしょう!!』などを挟み、『とんねるずのみなさんのおかげでした』まで続いており、厳密には2009年3月で20周年となる。

2008年9月25日、同年5月から『とんねるずのみなさんのおかげでした』の企画として始動していた『矢島美容室』をDJ OZMAと結成する事を発表し10月29日にデビュー。2人が揃って音楽活動するのは2001年に野猿が解散して以来であり、実に7年半ぶり。CDリリースやライブもさることながら、2010年には当ユニット名義の映画を公開した。

2010年代( – 2018年3月)
2012年3月、木梨は5年ぶりとなるソロライブ「NORITAKE GUIDE 5.0」を開催。最終日には石橋がサプライズ出演し、1995年のコンサートツアー以来のとんねるずとしての客前歌披露を行った。

2012年9月10日、視聴者参加型特別番組『ハレバレとんねるず 略してテレとん』(テレビ東京)が放送される。テレビ東京へのコンビとしての出演は、同じく素人参加番組だった『ドバドバ大爆弾』以来32年ぶりとなり、プロになってからは初めての同局での冠番組となる。

2013年10月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)が放送25周年を迎える。2013年11月7日の放送では、放送25周年を記念してとんねるずvs矢沢永吉の「新・食わず嫌い王決定戦」特別対決が行われた。

2014年1月14日、『笑っていいとも!』(フジテレビ)放送第8000回目のテレフォンショッキングにて、不定期として番組レギュラーでの出演が決定した。自身がメインではない番組でのテレビでのレギュラー番組は『夕やけニャンニャン』の終了時(1987年)以来27年ぶりとなる。またテレフォンショッキングの史上最長記録は1984年以来、長らく黒柳徹子(46分)が最長となっていたが、番組終了を目前にして彼らが48分22秒で更新した。2014年3月31日「笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号」をもって幕を閉じた。

2017年6月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』が単独放送開始20周年を迎える。

2017年9月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』が『とんねるずのみなさんのおかげです』『ラスタとんねるず’94』『とんねるずの本汁でしょう!!』時代を含めて放送開始30周年を迎える。

2018年3月22日、『とんねるずのみなさんのおかげでした』が放送終了。放送回数は「おかげです」時代を含めて全1340回。木梨は2018年1月26日放送の『あさイチ』(NHK総合テレビ)にて『みなさんのおかげでした』終了後のとんねるずの活動について、「また新しい話があれば、企画できそうなことがあればやろうって」と石橋とも話している旨を明かした。

変革期(2018年4月 – 現在)
木梨が自身の個人事務所『コッカ』(現:キナシコッカ)に移籍、石橋とは所属事務所が別々となる。また約30年続いてきた公式ファンクラブ「TN Lounge」は2018年末をもって閉会。2018年4月以降は専ら個人活動がメインで、メンバー各々が活躍の場を広げている。

2019年9月、2人が個々で歌活動を開始することが同時期に発表された。 木梨は同年9月14日、自身が出演していた「氣志團万博2019」にて発表され、自社レーベル「木梨レコード」を立ち上げ、10月24日配信EP「木梨ファンク 〜NORI NORI NO-RI〜」でソロデビュー。一方石橋は同年9月17日、元野猿メンバーだった平山晃哉と神波憲人との3人組グループ『B Pressure』を結成し、11月1日に1stシングル「Freeze」でデビューした。

2020年、コンビ結成40周年を迎える。

2020年1月22日、ポニーキャニオン時代のとんねるずやソロの活動曲を含む全189曲が、サブスクリプションサービス(略:サブスク)で一斉配信を開始、続く2021年7月28日には歌手デビュー時に在籍していたビクター時代の音源も一斉配信された。

現在、石橋は得意分野の知識を生かしたテレビ・ラジオのMC・パーソナリティ、木梨はテレビ・ラジオのMC・パーソナリティ、歌手活動、個展開催など活躍中。また『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!!』(テレビ朝日)は2023年で24回目を迎える。※2012年開始の夏版は含まず。

その中で近年、石橋が「ABEMA」「YouTube」、木梨が「GYAO!」「instagram」といった動画配信サービスやSNSなどのインターネットメディア進出が大きな話題となっており、時代の変化とともに活躍するフィールドも広がってきている。

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