フジテレビで放送されているスポーツ情報番組「サタフト~LIFE WITH FOOTBALL~」の無料動画や見逃し配信などの無料視聴方法、再放送について紹介したいと思います。
気になる番組は何回も見たいし、TVer(ティーバー)やGYAO!(ギャオ)、加入者の多いHulu(フールー)やNetflix(ネットフリックス)など、どういったサービスで観れるんだろう?って気になりますよね?
先ず「サタフト~LIFE WITH FOOTBALL~」の動画配信に関してなのですが、「サタフト~LIFE WITH FOOTBALL~」は、現在動画配信はされておりません。
今後「サタフト~LIFE WITH FOOTBALL~」の動画が配信されるとすれば、それはフジテレビで放送されていることから、FODプレミアムになると思います。
目次
「サタフト~LIFE WITH FOOTBALL~」以外にFODプレミアムで見れる動画
それではここからは、FODプレミアムで見れる動画の一部をご紹介したいと思います。
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「サタフト~LIFE WITH FOOTBALL~」伊東純也が選ぶスーパーゴール集
マンデーフットボールが進化し土曜日に復活!前園真聖&EXITがカタールW杯の見所紹介!今週のテーマはファンタジスタ!伊東純也が選ぶスーパーゴール集も!
SPORT月曜日深夜の大人気番組「マンデーフットボール」が進化し土曜日に復活!
「サタフト〜LIFE WITH FOOTBALL〜」
11月に開幕するカタールワールドカップに向け、コアなサッカーファンからライト層までが満足できる30分。ワールドカップで活躍したレジェンドや今大会注目の選手などワールドカップ情報が満載!
第3回はファンタジスタを大特集!
1998年W杯で母国フランスを優勝に導き英雄となったジダン。その後2002年、2006年とドラマチックなサッカー人生を歩みました。そんなジダンのことはもちろん、ファンタジスタについて、SPゲストの中村俊輔が興味深い話をしてくれました!
サタフトセレクションには、ついに現役日本代表選手が登場!伊東純也が2010年南アフリカワールドカップからベストゴールをセレクト!
「サタフト~LIFE WITH FOOTBALL~」の出演者
前園真聖(ワールドカップ応援隊長)
EXIT(ワールドカップ応援隊員)
佐久間みなみ(フジテレビアナウンサー)
【特集プレイヤー】
ジダン(フランス代表)
デブルイネ(ベルギー代表)
ペドリ(スペイン代表)
【SPゲスト】
中村俊輔(元日本代表)
伊東純也(日本代表)
「EXIT」について
「EXIT」は、りんたろー。と兼近大樹からなる日本の男性お笑いコンビ、音楽ユニット。所属事務所は吉本興業。所属レーベルはアリオラジャパン。2017年12月に結成。
りんたろー。(1986年3月6日 – )
静岡県浜松市出身。
ツッコミ・ネタ作成担当。立ち位置は向かって左。
本名は、中島 臨太朗(なかじま りんたろう)。
兼近 大樹(かねちか だいき、1991年5月11日 – )
北海道札幌市北区出身。
ボケ担当。立ち位置は向かって右。
愛称は、かねちー
ベイビーギャングを解散した後、ピン芸人としてオネエ漫談で活動していたりんたろー。に元ぷりずん。の兼近大樹が声をかけたのがきっかけで結成。元々はM-1グランプリに出場するために結成した即席コンビだった。SCANDAL(スキャンダル)という仮コンビでM-1グランプリ2017に出場し、3回戦まで進出。2017年12月にEXITとして正式にコンビを結成した。
コンビ名はりんたろー。が「EXILEっぽい名前にしたい」と思い、EXから始まる単語を調べて「EXIT」に決めたという。この名前について兼近は「全ての人の辛いこと、ストレスの出口になれれば」とも説明している。
2018年4月にはヨシモト∞ホールにて、同年11月にはルミネtheよしもとにて結成最速の単独ライブ完売を果たす。
2018年7月に放送された『ゴッドタン』(テレビ東京系)の企画「この若手知ってんのか?」で「今のバラエティで売れそうな若手芸人」部門第1位に選ばれ、これをきっかけに活動の幅を広げていったとされている。
同年12月21日よりYouTubeチャンネル『EXIT Charannel』をスタート(毎週火・金配信)。
同年12月23日のファーセカ∞チェンジにてヨシモト∞ホールのファーストクラスに昇格。
2019年2月2日、事務所の垣根を越えてホリプロコム所属のきつねとの日帰りバスツアー『ライブナタリーPresents きつね×EXITと行く!バレンタインチャラバスあざまる水産ツアー〜パワーあげみざわ、あーん∇してマジ卍PonPonPon!!いやきつねはKonKon!!うまいこと言わんでえぇねん〜』を開催。同年8月18日、きつねとのクルージングイベント『ライブナタリー Presents きつね × EXIT 真夏の東京湾“チャラクルージング”〜真夏の船上パーティDEションテンガルアー! バスじゃ乗り切れねぇから船でいい波ノッちゃって!! 魂〜』を開催。
同年12月25日、JAPANツアーの9月27日(金)@東京 ルミネtheよしもと公演を収録した初のライブDVD『EXIT初来日チャラ卍バイブスぶち上げ JAPANツアー光×光それ即ち音になりけり〜おそくなってんじゃん〜☆控えめに言ってパリピ全員に届くようにアチャーな値段でhere we go☆』が発売。
同年12月28日、テレビ朝日にて初のMC・冠番組『EXI怒』が放送された。
同年12月29日、パシフィコ横浜にて単独ライブ『EXITを見たい全ての人よ。見てクレーン射撃君のハートを打ち抜きマチュピチュ空中都市LIVE〜令和最初のションテンいとあがりけり!共に時代を変えるなりよFes.今年もせんきゅす 来年もよろたのForever in パシフィコ横浜〜』を開催。
2020年7月20日、EXIT OFFICIAL FAN CLUB 「entrance」を開設。
芸風
ネオ渋谷系漫才と称され、二人ともにパリピ口調のチャラ男キャラでしゃべくり漫才を行う。ネタ作成はりんたろー。が中心に行っている。ネタの締め台詞は「お後がHere we go!」。この他、「バイブスいと上がりけり」などチャラい言葉と古い言葉を混ぜたネタが特徴でもある。
上記のような芸風になったきっかけは、似た芸風であるお笑いコンビ・ちゃらん婆を見た兼近が「これ本気出せば、このキャラで戦えるな」と感じたことから。ちゃらん婆の2人はEXITに対し、「そしたらマジで瞬殺で抜かれました」「びっくりするスピードでした」とコメントしている。
受賞歴
賞レースなどでの戦績
M-1グランプリ2017 3回戦敗退
M-1グランプリ2018 3回戦敗退
東京都消費生活センター 悪質商法THEライブ グランプリ
厚生労働省主催 薬物にNO! お笑いライブ 優秀賞
総務省後援 電波伝搬障害防止制度を笑いで広めよう! 佳作
モンスト公式『モンスト一芸秀でている王選手権』 初代チャンピオン
第4回 上方漫才協会大賞 大賞・新人賞ノミネート
第20回 決戦!お笑い有楽城 優勝
SDGs-1グランプリ2019 優勝
M-1グランプリ2019 準々決勝進出
第5回 上方漫才協会大賞 大賞・新人賞ノミネート
M-1グランプリ2020 準々決勝進出
M-1グランプリ2021 準々決勝進出
その他の受賞
GQ Men of the Year2020 ベスト・コメディ・デュオ・オブ・ザ・イヤー賞
ベストフンドシストアワード2020
スニーカーベストドレッサー賞2022 芸人部門
「前園真聖」について
「前園真聖」は、鹿児島県薩摩郡東郷町(現・薩摩川内市)出身の元サッカー選手、サッカー解説者、タレント。所属するマネジメント事務所はサニーサイドアップ、ジャパンエフエムネットワーク。元日本代表。長年Jリーグを担当している英国人記者は全盛期の前園をジョージ・ベストに例えた。
日本が28年ぶりに出場した1996年アトランタオリンピックの予選突破の最大の功労者であり、本大会でブラジルに勝利した「マイアミの奇跡」のU-23サッカー日本代表キャプテン。
幼少~プロ入り以前
4歳年上の兄の影響で小学校に入る前からサッカーに親しみ、東郷小学校2年生のときに「東郷少年サッカー団」に加入。5年生時に県大会ベスト4。ビデオがきっかけでディエゴ・マラドーナに憧れ、繰り返しビデオを見てはドリブルの練習に明け暮れる毎日を送る。進学した東郷中学校にはサッカー部が無かったため、当初は陸上部に所属。2年生の3学期にサッカー部が創部され、3年生のころには県選抜にも選ばれる。
鹿児島実高では1年生時からレギュラーに定着、高校選手権に3年連続で出場。2年生時の69回大会では準優勝を果たした。高校時代の同学年には遠藤三兄弟の長男・遠藤拓哉や藤山竜仁、仁田尾博幸、2学年下には後にアトランタオリンピック日本代表としてもチームメイトになる城彰二と遠藤彰弘がいた。
横浜フリューゲルス時代
1992年、Jリーグの横浜フリューゲルス(横浜F)に加入。1年目は加茂周の目指すゾーンプレスサッカーへの適応に戸惑い、持ち味を出せないままサテライトチームで1年を過ごす。Jリーグ初年度の開幕を控えた1993年前半にアルゼンチンのヒムナシア・ラ・プラタへ2ヵ月間短期留学した。
1993年6月5日のJリーグ・ヴェルディ川崎戦、延長後半4分から途中出場して公式戦デビューを果たす、7月10日のマリノス戦での決勝ゴールはJリーグ初ゴールとなった。1993年のJリーグでは24試合に出場して2得点、横浜Fが優勝した第73回天皇杯でも決勝戦に先発出場した。
1994年はリーグ戦8ゴールを決めるなど、完全にレギュラーを掴んだ。1995年も主軸として活躍、3月22日、ベルマーレとの神奈川ダービーでは、巧みなボレーシュートで決勝ゴールを決め(小島伸幸はこのゴールを、自身のキャリアで相手に決められたスーパーゴールの第4位としている)、4月15日のセレッソ大阪戦では自身にキャリアのベストゴールとしている、相手DF2人とGKをかわして決めたゴールを決めるなど、この年は40試合で7ゴールを挙げた。
初めて1シーズン制を採用した1996年のJリーグではブラジルトリオ(ジーニョ、サンパイオ、エバイール)や山口素弘、三浦淳宏らと共に躍動した結果、開幕から8連勝を飾る。前半戦を首位で折り返し、初のリーグ優勝のチャンスだったが、後半戦は勢いを持続できず3位に終わった。前園はこのシーズン、リーグ戦、カップ戦のトータルで15ゴールを決めるなど活躍、同年のJリーグベストイレブンにも選出された。 1996年6月にはスペインからセビージャの関係者が日本を訪れ、横浜Fに前園獲得を打診していた。
横浜FからV川崎への移籍
1996年にU-23日本代表主将としてアトランタオリンピックを経験し、その前からもっていた海外志向は更に強くなっていた。1996年シーズン後の契約更改では、スペインへの移籍を念頭に置き、日本サッカー界で初めてとなる代理人を通しての契約交渉に臨んだ。先例がなかったこともあり、当時は代理人を立てたことにバッシングも受けた。しかし横浜F側は、移籍金満額(3億5000万円)が支払われる場合にのみ海外移籍を認めるという姿勢をあくまで崩さず、交渉は行き詰まった。セビージャ以外にも複数のクラブが横浜Fに接触していたが、それらは前園本人に一切伝えられてこなかったことも明らかになり、前園はクラブへの不信を募らせていった。
「フリューゲルスに残ることはないと思ってたし、ましてやJリーグの他のチームへ行くこともまったく考えてなかった」が、三浦知良の国外移籍を容認した実績があるヴェルディ川崎から獲得希望があり、移籍交渉期限最終日である1997年1月31日にV川崎への移籍が発表された。V川崎が横浜Fに支払った移籍金は当時Jリーグ最高額の推定3億5千万円と報じられたが、サッカーライターの戸塚啓によれば実際はクラブ間の交渉により大幅な減額があったため2億円から2億5000万円ほどに落ち着いたとされる。前園は移籍記者会見において、V川崎が国外移籍を容認したことを移籍理由の一つに挙げた。V川崎新監督の加藤久は日本サッカー協会(JFA)強化委員長時代にオリンピック代表チームをサポートしたことがあり、以前より前園のことをよく知る人物であり、選手として高く評価していた。
ヴェルディ川崎時代
大きな話題を集めての移籍であったが、プレーに対しての気迫が全く感じられず、精彩を欠き、次第に先発メンバーから外れ、途中出場の試合が増えていった。この時期沢山のTVコマーシャルに出演していたこともあり、大きく批判された。ヴェルディ川崎は1997年開幕から怪我人も多く、期待の前園も不振が続き、チームの成績が振るわず、1stステージ途中に加藤久監督は解任された。
夢だったスペイン移籍が叶わなかったことにより気持ちが切れてしまい、精神的な不調がプレー全体に悪影響を及ぼしていたと前園はこの時期の不振について振り返る。当時は移籍騒動のために人間不信にも陥ったという。
ブラジル時代
1998年10月、3ヵ月間の期限付き移籍でブラジル・サンパウロ州の名門クラブ、サントスFCに加入する。元々はネルシーニョ率いるサンパウロFCへの移籍話が進んでいたが、ネルシーニョが解任されたため頓挫し、代わりにエメルソン・レオンが監督を務めるサントスへの移籍が決まった。
10月18日、ブラジル全国選手権のポルトゥゲーザ戦に65分から交代で初出場、直後の66分に初ゴールを決めた。しかし、その後は出場試合数・時間は少なく、公式戦4試合出場1得点にとどまったが、前園本人はサントス時代について「フルで出た試合はひとつもなかったけど、ベンチにいてもすごくワクワクしてた。サッカーをやってる、という充実感があった」と振り返る。
1999年も期限付き移籍期間を延長してサントスでプレーする予定だったが、菅原智の獲得を決めたサントスは「日本人は二人もいらない」として前園との契約を見送った。1月25日、ゴイアス州の強豪クラブ、ゴイアスECへの期限付き移籍が発表される。ゴイアスでは3月3日のデビュー戦で先発フル出場、1アシストを記録。移籍当初はコンスタントに出場を重ねていたが、アウジョス監督のチーム構想に合わず次第に出場機会を失い、契約満了前に帰国した。
その後、移籍を前提としてポルトガルのヴィトーリア・ギマランイス、ギリシャのPAOKサロニカに練習参加したが、結局本契約には至らなかった。ギマランイスではV川崎が求めていた1億円の移籍金が交渉のネックになったという。
Jリーグ復帰
2000年、加藤久監督に請われ、この年からJ2に降格した湘南ベルマーレに期限付き移籍し、Jリーグ復帰。湘南のJ1再昇格の切り札として期待され、9月3日、第31節のベガルタ仙台戦ではプロ入り後初のハットトリックを決めるなどの活躍を見せたが、チームは8位に終わり、再昇格はならなかった。しかし「チームとしても僕個人も結果を出すことはできなかったけど、40試合近く試合をやったことでコンディションを取り戻すことができました。あれがなければ選手寿命はもっと短くなっていたと思います」と引退後に振り返るシーズンになった。
2001年、保有権を持つJ1・東京ヴェルディ1969に半年契約で3年ぶりに復帰。7月に松木安太郎が解任されて小見幸隆が監督になると、前園はそれまでより重用されるようになった。9月15日、2ndステージ第5節横浜F・マリノス戦の前半35分、ゴール前への飛び出しから先制点を奪った際、横浜FMのGK川口能活との接触を避けようと引いた左足がピッチに引っ掛かり足首を骨折。長期離脱し、そのまま2001年シーズンを終え、結果的にこれがJリーグ最後の試合出場となった。
2002年7月、前園、西田吉洋、石塚啓次の3選手がロリ監督の構想外となったため戦力外通告を受けたことがメディアに報じられた。スポーツ新聞には、以前より3選手の練習態度に不満を持っていたロリが彼らに改善を求めたものの聞き入れられず戦力外になったという東京V関係者の談話が掲載された。しかしこの処遇について前園は「新聞にはそうやって出てましたけど、僕からすれば明確な理由も納得できる説明もなかったですよ。練習態度と言われても、僕はリハビリ中だから、ロリが監督になってからずっと練習に参加できていたわけじゃない。それなのに、『もう使うつもりはないから、離れて練習してくれ』っていきなり言われて、3人で練習ですよ。(…)いったい何が問題だったのか、いまでもまったく分からない」と反駁する。
韓国時代
東京V退団後、前園は知人を通じて韓国・Kリーグのクラブへの移籍を模索した。最初に練習に参加した城南一和天馬では「体力的な問題」から契約を見送られたが、次の安養LGチータースでは趙廣來監督に評価されて契約に至った。安養ではリーグ開幕戦から10試合連続先発出場を果たしたが、シーズン途中以降はメンバーから外れるようになった。
2004年はKリーグの新クラブ・仁川ユナイテッドFCと契約。前園はカップ戦を中心に起用され、8月1日のFCソウル戦では韓国における公式戦初ゴールをPKで決め、この試合の決勝点になった。左足薬指の骨折により3ヵ月以上戦線離脱し、11月に入ってから復帰。2004年末で契約が解除された。
2005年にセルビア・モンテネグロ1部リーグのOFKベオグラードに1ヵ月間練習参加したものの本契約には至らず、5月19日に引退を表明。
オリンピック代表
1994年1月、西野朗監督率いるU-21日本代表(1996年のアトランタオリンピック出場を目指すチーム)の第1回合宿に招集される。1995年1月のオーストラリア国際トーナメント参加時に西野監督から指名されキャプテンとなる。前園はそれまでのサッカー人生でキャプテンを任された経験はなく、西野も彼の性格はリーダー向きではないと分析していたものの、時として一人よがりなプレーに走りがちな前園をあえてキャプテンに任命することによって彼にチーム全体を意識したプレーをさせることを意図したと語る。
前園はすでにA代表にも招集され、2つの代表チームを掛け持ちしていたが、1995年3月に前園本人の意向も汲み取った上でオリンピック代表を優先する方針が決まる。1995年5~6月にタイと日本で行われたアトランタオリンピック・アジア一次予選に出場。日本は4戦全勝で翌年の最終予選進出を決めた。1996年3月、マレーシアで行われたアトランタオリンピック・アジア最終予選に出場。3月24日、準決勝サウジアラビア戦で2ゴールを挙げ勝利に貢献、日本を1968年メキシコシティ大会以来、7大会(28年)ぶりのオリンピック本大会出場権獲得に導いた。
同年7月、アメリカ合衆国で開催されたアトランタオリンピック本大会に出場。日本はグループリーグ初戦で金メダル候補のブラジルから大金星を挙げ(「マイアミの奇跡」)、3戦目のハンガリー戦では前園が2ゴールを決めて3-2で勝利した。日本はナイジェリア、ブラジルと勝ち点6で並んだが、得失点差で決勝トーナメント進出を逃した。
A代表
日本代表監督ファルカンに抜擢され、1994年5月22日、キリンカップのオーストラリア戦で国際Aマッチデビュー。同年10月の広島アジア大会でも全試合にフル出場した。その後しばらくの間、オリンピック代表に集中するために代表を辞退した。
1996年8月25日、アトランタオリンピック出場を終えてフル代表復帰初戦のウルグアイ戦でフリーキックから日本代表初ゴールを決める。12月にはアジアカップUAE大会に出場、グループリーグ第2戦のウズベキスタン戦では直接FKからゴール、更に巧みなボールコントロールから相手をかわしてゴールを奪った。しかし準々決勝のクウェート戦では精彩を欠いて前半のみで途中交代を命じられ、試合にも0-2で敗れて日本はベスト8に終わった。
1997年、移籍騒動の影響で精彩を欠くようになり、3月のワールドカップ・フランス大会アジア一次予選オマーンラウンドのメンバーに召集されたが、出場機会を与えれれず、以降日本代表から外れた。日本代表での最後の出場は1997年3月15日にバンコクで行われたタイとの親善試合(1-3で日本が敗北)だった。その後、前園と入れ替わる様に中田英寿が代表に入る形となり、A代表では共にプレーすることは無かった。
引退後
現在はサッカー解説者としてテレビ東京、日本テレビの高校サッカー選手権中継などに出演する一方、少年サッカーの普及促進活動などにも参加している。2007年からはJFAアンバサダーとしても活躍している。また、2006年8月にはサッカー普及活動の一環として、幼稚園児から小学生までを対象とした「ZONOサッカースクール」を立ち上げた。2008年には中田英寿の立ち上げた元サッカー選手で構成するサッカーチーム「TAKE ACTION FC.」の一員となっている。
2009年にはビーチサッカー日本代表に選出され、10月に行われたポルトガル代表(英語版)との親善試合に2試合出場した。2009 FIFAビーチサッカーワールドカップ・アジア予選で優勝本大会にも出場し、サッカーとは別の形でワールドカップ出場を果たした。
2012年、JFA 公認S級コーチライセンスを取得した。
2013年10月13日に、酒に酔ってタクシー運転手に暴行を加えた容疑で逮捕された。10月14日に処分保留で釈放され、同日謝罪会見を行い、テレビ東京系『neo sports』などテレビ番組の出演自粛を表明した。10月15日、『JFAこころのプロジェクト』の活動停止処分を受けた。11月15日、出身地である鹿児島県薩摩川内市のスポーツ大使を辞任した。
2014年のフジテレビ系『ワイドナショー』への出演を契機(エピソードの項参照)に、タレントとしても活動している。
2016年、「ベストフンドシストアワード2015」特別賞を受賞。2月末には薩摩川内市が観光大使に「再指名」した(スポーツ大使を一度辞任したため)。
「ワイドナショー」での取材活動をきっかけに、同年より開幕する男子バスケットボールリーグ「Bリーグ」特命広報部長に就任。
2017年12月24日、10年間交際を続けていた34歳のダンサーとの結婚を発表した。
「サタフト~LIFE WITH FOOTBALL~」を楽しもう!
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