【伝説の一日】動画配信無料視聴方法と見逃し配信!ダウンタウンの漫才やさんまが話題

大阪・なんばグランド花月(NGK)で行われた吉本興業110周年特別講演「伝説の一日」のオンライン動画配信や見逃し配信・アーカイブ配信の無料視聴方法などを紹介したいと思います。

ダウンタウンの漫才や、ナイナイの岡村隆史さんのビッグニュースや、明石家さんまさんの出演など、まさに「伝説の一日」となり、大きな話題になっています。

この「伝説の一日」は吉本興業主催を中心としたライブ配信のチケットが買える、吉本興業公式のライブ配信サービス「FANYオンライン」で視聴することができます。

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吉本興業110周年特別講演「伝説の一日」について

過去に『伝説の一日』は、2012年4月8日に吉本興業の創業100周年を記念して行われ、NGKの舞台に208組277名の芸人が集結した。今回110周年の節目には2日間の開催となり、各日4回の全8公演で出演者は223組315名とパワーアップする。

ネタ披露にあたる「壱回目」(前8:30開演)、「弐回目」(前11:50開演)、「参回目」(後3:10開演)は、それぞれ若手から大御所まで17組が出演。さらに、ショートネタや落語大喜利も交えながら、吉本新喜劇の「間寛平GMお披露目公演」も披露されるなど、ボリュームたっぷりの内容となる。

文枝は、初日「壱回目」の冒頭で西川のりお・上方よしおとともに口上を行い、ネタのトリも務める。同日の「弐回目」ではオール阪神・巨人がトリを担い、「参回目」ではきよしも登場し、トリは中川家が締める。

千秋楽となる2日目は、「壱回目」に桂文珍、ザ・ぼんち、トミーズ、ハイヒールがそろうほか、「弐回目」のトリは博多華丸・大吉が務める。そしてダウンタウンは、2日目の「参回目」で海原やすよ ともこらに続いて登場し、SP企画としてトリを務める。

そして、両日とも「四回目」(後6:30開演)は、さんまが、今田耕司・ナインティナイン岡村隆史・月亭八方・間寛平・村上ショージ・ジミー大西らと『さんまの駐在さん』を上演する。

2日間にわたり、東京・新宿の「ルミネtheよしもと」など全国の吉本興業の常設・拠点劇場でライブビューイングも開催し、オンライン配信も実施。さらに、3月21日に開局するBS放送「BSよしもと」では、当日の楽屋や舞台裏などを含む『伝説の一日』生放送特別番組を放送する。チケットは、一次抽選販売が3月4日午前11時にスタート。

吉本興業110周年特別講演「伝説の一日」初日の出演者

<壱回目>
桂文枝/桂小文枝/西川のりお・上方よしお/なだぎ武/ブラックマヨネーズ/チュートリアル/佐久間一行/ロバート/パンクブーブー/プラス・マイナス/和牛/ガクテンソク/パンサー/見取り図/オズワルド/空気階段/コウテイ 他
吉本新喜劇:間寛平/小籔千豊/川畑泰史/すっちー/酒井藍 他

<弐回目>
月亭八方/オール阪神・巨人/ティーアップ/林家菊丸/次長課長/シャンプーハット/くまだまさし/トータルテンボス/ハイキングウォーキング/銀シャリ/チョコレートプラネット/シソンヌ/トット/ロングコートダディ/ニューヨーク/霜降り明星/3時のヒロイン 他
吉本新喜劇:間寛平/小籔千豊/川畑泰史/すっちー/酒井藍 他

<参回目>
西川きよし/笑福亭仁智/平和ラッパ・梅乃ハッパ/矢野・兵動/ザ・プラン9/中川家/陣内智則/笑い飯/NON STYLE/南海キャンディーズ/もう中学生/藤崎マーケット/アインシュタイン/ミルクボーイ/インディアンス/蛙亭/ぼる塾 他
吉本新喜劇:間寛平/小籔千豊/川畑泰史/すっちー/酒井藍 他

<四回目>
「さんまの駐在さん」 
明石家さんま/今田耕司/ナインティナイン岡村隆史/月亭八方/間寛平/村上ショージ/ジミー大西 他

吉本興業110周年特別講演「伝説の一日」千秋楽の出演者

<壱回目>
桂文珍/ザ・ぼんち/桂小枝/村上ショージ/トミーズ/ハイヒール/野性爆弾/フットボールアワー/とろサーモン/もりやすバンバンビガロ/ジャルジャル/アキナ/かまいたち/トレンディエンジェル/吉田たち/ニッポンの社長/EXIT 他
吉本新喜劇:間寛平/小籔千豊/川畑泰史/すっちー/酒井藍 他

<弐回目>
大木こだまひびき/博多華丸・大吉/メッセンジャー/桂三度/タカアンドトシ/ロザン/レイザーラモン/千鳥/ダイアン/スマイル/ライス/マヂカルラブリー/男性ブランコ/ZAZY/ミキ/もも/オダウエダ 他
吉本新喜劇:間寛平/小籔千豊/川畑泰史/すっちー/酒井藍 他

<参回目>
中田カウス 漫才のDENDO/まるむし商店/木村祐一/月亭方正/海原やすよ ともこ/COWCOW/2丁拳銃/テンダラー/ライセンス/あべこうじ/スーパーマラドーナ/すゑひろがりず/ジャングルポケット/ビスケットブラザーズ/コロコロチキチキペッパーズ/ゆにばーす/ゆりやんレトリィバァ 他
ダウンタウン

<四回目>
「さんまの駐在さん」 
明石家さんま/今田耕司/ナインティナイン岡村隆史/月亭八方/間寛平/村上ショージ/ジミー大西 他

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「伝説の一日」ダウンタウンがNGKでセンターマイク挟む

ダウンタウンが4月3日、大阪・なんばグランド花月で上演されている吉本興業の創業110周年特別公演「伝説の一日」に登場した。

ダウンタウンが出演したのは「千穐楽参回目」公演の最後のコーナー。EPO「DOWN TOWN」の出囃子が流れたあと、大歓声の中センターマイクの前に立った。浜田が「すごいですね!」と手を振って観客の歓迎に応える一方、松本は渋い表情で耳を掻く。「このあとのしましまんずを待ってるんでしょ?」とボケてみせ、「これはきついですよ。こういうとき浜田さんテンション上がるんですよ。やりづらい。死ぬほど後輩見てるし」と苦笑いを浮かべた。

「ここまでレジェンド芸人になっちゃうとね。カリスマじゃないですか。お風呂入っても取れないんですよ、カリスマが」と自画自賛する松本に、浜田は「大変やな」と呆れ顔。漫才を期待する観客の高揚感を受け取った松本が「(浜田は)金のためにやってるだけやって言ってて。どうかと思うけど……」と冷めた眼差しを浜田に向けると、浜田はキックで応酬した。

2人はクイズを題材に掛け合いを30分以上にわたって繰り広げた。まともに問題に答えない松本に「どういうこと? すんごい嫌、もう帰りたい!」と浜田。ほぼ打ち合わせなしだったようで、「お前が何も、打ち合わせしてくれへんから! 『ベタなクイズ1個か2個考えといて』……終わり!?と思って。それでお前ずっと思いつきでしゃべってるやん!」と身悶えする。松本が「いいんじゃない? そういう成人男性がいても」と返すと、「おっしゃわかった。来いや」と腕まくり。再び会場から大きな拍手が送られた。

出題と回答を交代することにした松本は、「人はクイズを出すタイプ、出さないタイプ、掛け布団使わないタイプに分かれる」とボケたあと、「どう、面白かった?」と浜田に確認。浜田は「あはははははは!(笑) お前楽しそうやのう!」とツッコミを入れ、最後は「もうええわ!」と松本の胸をどついて終わりにした。

「千穐楽参回目」にはスーパーマラドーナ、木村祐一、COWCOW、テンダラー、すゑひろがりずらが出演。トリを海原やすよ ともこが務めた。

「伝説の一日」ダウンタウン31年ぶり漫才に後輩らも大興奮

ダウンタウンが3日、吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」に出演し、31年ぶりに笑いの殿堂・なんばグランド花月で漫才を披露した。同イベントに合わせて舞台裏などを伝えるBSよしもと「伝説の(裏)一日」ではダウンタウン出演後、後輩らがその興奮を語った。

2人の漫才を舞台袖で見たという落語家・月亭方正は、共演する「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の収録現場で「収録前にちょこっと(漫才の)打ち合わせみたいなことはされてた」と明かした。「でも、きょうは40分の舞台。短い打ち合わせやったし、これまでの漫才をリメークする感じかな、あとはフリートークかな…と想像してたんですけど、ものすごいストロングスタイルでガッツリやってはった。すごい感動したんです、かっこよすぎる!」と絶賛した。

「浜田さんは出番前に(松本から)『簡単なクイズを考えといてくれよ』と言われてただけですから。あとアドリブですよ、ヤバイ!松本さんは何が来ても、ということやったと思う。ほんま、バケモンやで!ほんまにバケモンやとあらためて思いました。かっこよかったわ~」と力を込めた。

また、ダウンタウン登場直後にはNGKの楽屋から後輩のジャングルポケットが登場。舞台袖でダウンタウンの出演を見届けたという太田博久は「漫才やられてました!新ネタです」と報告した。

「舞台袖に松本さんが座っておられて、幕が開いて、出ばやしが鳴ってる途中にセンターマイクが上がった途端に、会場がワーーー!っとなった」と会場の興奮を再現。漫才をやることを知らなかった観客、共演者が一堂に沸いたことを明かしていた。

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「伝説の一日」明石家さんまカーテンコールで「笑顔のまんま」

吉本興業創業110周年を記念した特別公演「伝説の一日」が3日、大阪・ミナミの「なんばグランド花月(NGK)」で閉幕した。

カーテンコールには明石家さんま、桂文枝ら舞台いっぱいに出演者らが登場。さんまから「ポンコツ記者会見で有名な…話術に磨きを掛けました」と紹介され、岡本昭彦社長が登壇。「えー。本日は、誠に申し訳ございませんでした」と、会見でおなじみとなったフレーズで笑いを取りながら「長時間、ありがとうございましたこれからも笑いの力を信じて、精いっぱい頑張って参ります」。最後は「アホの坂田」、「ひらけ!チューリップ」、「笑顔のまんま」など吉本が生み出したヒットメドレーで締めくくり、さんまが「ありがとうございました」と連呼し締めくくった。

「伝説の…」は2日に開幕し、2日間で計8回公演、チケットはすべて完売で約7000人を動員。約450人のタレントが出演した。

「伝説の一日」明石家さんまが岡村隆史の第1子誕生発表に

千秋楽のラスト、4回目公演は、2日連続上演となった明石家さんまの「さんまの駐在さん」。前日は、ナイティナイン岡村隆史が第1子誕生を電撃発表しており、この日も出演。詳細を明かさなかったため、さんまから「生まれて何日たったかだけは言うてくれ」と追及され、岡村は「2月に生まれました」と打ち明けた。

さんまらが「百周年やから『もも(百)と』」などと、激しく盛り上がった命名についても、岡村は「名前も一応決まってます。多分、(発表すれば)決めてくださる流れになるやろうなとは思ってましたが…。うちの妻から『ももとって何?』と言われました」と語った。

また、さんまは前日の舞台後、風呂の入れ方なども熱心に伝授したそうだが、生後2カ月近くになることで「もうやったんやろ? おれ、一生懸命教えたけど、鼻で笑ってたんやな」などと迫った。これに思わず、ガードの堅かった岡村も「お風呂も入れてますし、オムツも替えてます」。よきパパぶりの一端をのぞかせた。

また、今田耕司は誕生祝いを買おうと、この日「ベビー売り場をウロウロしてたら、店の人ずっと、クスクス笑ってた…」と言い、誕生祝いを岡村に贈ったことを明かした。

前日に引き続き、岡村の第1子ネタで盛り上がった3人。さんまは「(話題をさらわれる危惧は)な、言うた通りやろ」などと、読み通りだったと主張した。

ただし、今田は「まださんま兄やん、いいですよ。テレビでやってましたけど、さんま兄やんのとこ映ってましたもん。俺のとこ、全部カットですよ!」と嘆いていた。

「伝説の一日」明石家さんまが桂文枝いじり「僕とあなたは地獄です」

2日間8公演に及んだ記念興行の大トリとなった明石家さんまの「さんまの駐在さん」に、初代駐在さんだった桂文枝が出演した。

「署長」と呼ばれて登場した文枝は、いきなり「いらっしゃ~い」。文枝は、3月末でテレビ朝日系「新婚さんいらっしゃい!」を勇退しており、さんまが「なんで俺に(後任を託して)くれへんかったんですか?」と迫った。

文枝は「君のことを一番に考えたよ。でも今からじゃ51年は無理だからね」と、長期間託せる者がよかったと明かした。

途中、文枝が「思い出すと暗いんですよ…去年家内を…」などと、昨年、夫人と母を相次いで亡くしたことに触れると、さんまが「そんな話あかん。続けて死んだんですよね」とあっけらかんとした様子でツッコミ。あうんの呼吸で明るくネタへと転化した。

文枝はかねて、さんまを世に引き出したのは自分だと自負しており、この日も「あなたを見つけたのは私だと思ってます」。実際、自身の出世番組「ヤングタウン」へ、さんまを引っ張りだし、これをきっかけにさんまはブレークした。

もともとは、落語家だったさんま。文枝らの師匠世代になる上方四天王の1人、故笑福亭松鶴さんの兄弟弟子にあたる故笑福亭松之助さんが師匠だった。だが、落語家があわず、出奔を経てタレントに転身。落語家出身で、テレビ界で成功した道筋としては、文枝の後をたどっている。

「駐在さん」も、76年に「花の駐在さん」としてスタートした際、初代は文枝で、後にさんまが引き継いでいる。さんまも「こうして文枝師匠にきてもらって、ありがたいです」と感謝。「あえて言わせてもらいます」と前置きして、前名で「三枝兄やん」と呼び、文枝も笑顔でこたえた。

吉本の看板さんまも、文枝の前では「後輩」。それでも、モンスターエンジン大林が、持ちネタの笑福亭仁鶴さんにふんして「今、地獄の方に(いる)」などとやると、さんまは「地獄におちんのは、こっちや」と文枝を指して悪ノリ。「悪さしてるから、僕とあなた(文枝)は地獄です」などと話を展開させ、「三枝兄やん」をいじって会場をわかせていた。

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「ダウンタウン」について

「ダウンタウン」は、吉本興業に所属する浜田雅功と松本人志からなる日本のお笑いコンビ。NSC大阪校1期出身。

浜田 雅功(はまだ まさとし、1963年(昭和38年)5月11日 – )
ツッコミ担当、立ち位置は向かって右。
兵庫県尼崎市出身。身長165cm、血液型A型。右利き。喫煙者。

松本 人志(まつもと ひとし、1963年(昭和38年)9月8日 – )
ボケ・ネタ作り担当、立ち位置は向かって左。
兵庫県尼崎市出身。身長172cm、血液型B型、左利き。非喫煙者。

1982年にコンビ結成、NSC大阪校の1期生として入学した。1987年、帯番組『4時ですよーだ』で大きく注目を集め関西でアイドル的な人気を博す。1988年、『夢で逢えたら』で東京へ進出。1989年に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』、1991年に『ダウンタウンのごっつええ感じ』、1993年に『ダウンタウンDX』、1994年に『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』が放送開始し全国的に人気を獲得。コンビ活動の他に浜田は俳優・歌手・司会者、松本はライブ・ビデオ・作家・映画監督などソロ活動も活発に行った。『ガキの使いやあらへんで!』『ダウンタウンDX』は現在も続く長寿番組である。

NSC入学
共に尼崎市立潮小学校、尼崎市立大成中学校の同級生。高校はお互い別々だったが、高校卒業後の1982年3月に浜田が吉本の開校した新人タレント養成所『吉本総合芸能学院(通称:NSC)』による1期生募集のチラシを見つけたことがきっかけで、同年4月4日にNSC1期生として入学。当時の松本は就職が決まっていたが、浜田から誘われて吉本入りを決意した。

入学わずか2ヶ月目にして、テレビ初出演となる毎日放送『素人名人会』にて名人賞を獲得。その1ヵ月後には『第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール』で福笑い大賞を受賞。これらの功績が認められ、NSC在学生では異例の早さで「なんば花月」の公演へ5日間ではあるが特別出演した。

8月、フジテレビ『笑ってる場合ですよ!』の素人・アマチュア芸人の勝ち抜けコーナー「お笑い君こそスターだ!」へ「まさし・ひとし」として出場、5週勝ち抜きグランドチャンピオンとなった。番組内ではNSC在学生ということは伏せられ、素人としての出演だった。

劇場で舞台を踏みながら『第13回NHK上方漫才コンテスト』や『第4回ABC漫才・落語新人コンクール』へ出場。

1983年4月21日、阪急ファイブ8F・オレンジルームで同期のハイヒール、銀次・政二と共にコントライブ「ごんたくれ」(全3回)の第1回公演を開催。後の心斎橋筋2丁目劇場による笑いの原型を開拓させたイベントであった。

「松本・浜田」「まさし・ひとし」「青空てるお・はるお」「ライト兄弟」「まさと&ひとし」などコンビ名を定着させずに活動していたが、同年5月にコンビ名を現在の「ダウンタウン」へと改めた。同年6月6日になんば花月上席初出演を果たす。

コンビ名の由来について松本は「考え過ぎるのやめようって。どこかの喫茶店で、週刊誌をペラペラッとやって、指で押さえたところをコンビ名にしようぜってなったんですよ。それがダウンタウンだったんです」と語っている。

1984年、『第14回NHK上方漫才コンテスト』で優秀賞を受賞。『第5回ABC漫才・落語新人コンクール』で最優秀新人賞を受賞した。

「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」誕生
当時の吉本興業は、漫才ブームの終焉によって花月三館(なんば花月・うめだ花月・京都花月)の観客も若年層より年配層が多くを占めていた。NSC時代から2人のマネージャー的存在であった大崎洋(現・吉本興業ホールディングス代表取締役会長)は、才能はあるが注目度が低かったダウンタウンに対して「彼らの場を作ってやらんといかん」と、大崎が発起人となり当時大阪・心斎橋に南海電気鉄道が賃貸契約していた劇場「南海ホール」での定期開催を計画。笑いのターゲットを若年層に絞り、若手芸人と共に1984年7月12日「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」(通称「心劇」)を毎週末に開催した。

「心斎橋筋2丁目劇場」オープン
1985年10月、関西テレビ『今夜はねむれナイト』内にて3分程度によるコントコーナー「ダウンタウン劇場シアター」でテレビレギュラー番組を獲得。また、ラジオ大阪『おっと!モモンガ』金曜日の司会者に起用される。南海ホールでの定期ライブ「心斎橋筋2丁目劇場」も徐々に反響を呼ぶようになり、多くの若者から支持を受ける。

1986年、南海ホールでの定期ライブ「心斎橋筋2丁目劇場」は非常階段・130R・今田耕司・東野幸治らとの公演で人気を博し、入場できない程のファンが詰めかけていた。同時期には南海ホールの経営が南海電鉄から吉本に移り、「大阪にもスタジオアルタのようなホールを創ろう!」という企画が持ち上がったことから総工費約2,000万円をかけて改装され、同年5月16日には正式に「心斎橋筋2丁目劇場」の名称で吉本の常設劇場としてリニューアルオープン。8月6日に大阪城野外音楽堂で当時の2丁目劇場主要メンバー「おさわがせ2丁目探険隊 来てもた大阪城」を開催した。

『4時ですよーだ』
1987年4月6日、ダウンタウンがメインの平日夕方の帯番組『4時ですよーだ』(毎日放送)が放送開始。この番組を機にダウンタウンの人気は爆発、同年9月27日には大阪厚生年金会館でコンサート「DOWNTOWN SCANDALS」を開催し、会場は若年層の女性ファンで超満員となった。その人気に肖って当時の吉本若手タレントでは珍しく、写真集の発売や歌手としてデビューアルバムも発売。このダウンタウンの影響で、NSC7期生(1988年度)の生徒数がそれまでのNSC卒業生の総数を上回る現象も起こった。

関西で爆発的な人気を獲得したダウンタウンは、その勢いで東京へも活躍の場を広げる。1988年10月13日、ウッチャンナンチャン・野沢直子・清水ミチコとのコント番組『夢で逢えたら』(フジテレビ)が関東ローカル(後に全国ネット)でスタート。また、2丁目劇場の東京公演「おでかけでっせ、ラフォーレまっせ」をラフォーレ原宿で不定期に開催していた。

この頃1987年11月に行われた雑誌のインタビューで、「東京で番組を1本持っているのは維持したい」(松本)「東京へ来ることは僕らにとってマイナスにはなりませんからね」(浜田)と意欲を見せるような発言をしていた一方で、ニッポン放送からはそれとなく(2時間番組のパーソナリティの)話があったが自分たちは今東京で2時間やっても持たないのがわかっているので、また全国的に馴染みの無い者がいきなり全国ネットの番組に登場するのはかなり厳しいものがある、などということを理由に遠慮したという、当時は東京進出にまだ慎重的な考えもあったようなことを明かしている。

東京進出
1989年、吉本から本格的な東京進出命令が下る。以前から『ひょうきん予備校』『欽ドン!ハッケヨーイ笑った!』、そして前年からスタートしていた『夢で逢えたら』などの東京に出向いて番組へ出演していたが『4時ですよーだ』の司会を同年4月より7月まで一時交代し、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)の月曜レギュラーとなる。

9月29日に『4時ですよーだ』が最終回を迎え、10月3日に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)が関東ローカルで放送開始。1991年4月からは『世界の常識・非常識!』(フジテレビ)にレギュラー出演。

1991年12月8日、3度の特番放送を経て『世界の常識・非常識!』の後番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』が放送開始される。ダウンタウンが得意とするシュールなコントで全国的に不動の人気を獲得し、全盛期には視聴率20%を越えるお化け番組へと成長。1993年10月21日には読売テレビ制作の全国ネット番組『ダウンタウンDX』が、1994年10月17日にはフジテレビで音楽番組『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』が放送開始された。

個人としての活動〜『ごっつええ感じ』終了
浜田は東京進出後に数々のドラマへ出演するなど俳優業にも分野を広げ、1995年3月15日に浜田は小室哲哉との音楽ユニット・H Jungle with tを結成してデビューシングル『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』を発売するとオリコンチャートで7週連続1位を獲得、CDセールスは約200万枚という大ヒットを飛ばした。同年の大晦日放送『第46回NHK紅白歌合戦』にも初出場し、同番組ではGEISHA GIRLSに扮した松本が浜田にも内緒でゲスト出演していた。

一方で松本はお笑いの活動にこだわり、1994年には入場料1万円のライブ「寸止め海峡(仮題)」、1995年には日本武道館で初の芸人による1人単独ライブ「松風’95」が行われ独自の笑いを生み出し続けていった。1993年から1995年にかけて、松本が『週刊朝日』に連載していたエッセイ(「オフオフダウンタウン」)が単行本化される。題名は『遺書』『松本』で、それぞれ250万部、200万部を売り上げた。1995年には芸能人長者番付で松本が1位、浜田が2位となった。

1997年11月、番組改編期でもない11月に『ダウンタウンのごっつええ感じ』が突如打ち切りとなり、それを受けダウンタウンのバラエティ番組の傾向が変化していく(詳細はダウンタウンのごっつええ感じ#突然の放送終了参照)。

2000年代
2000年4月15日、松本と中居正広のW主演でドラマ『伝説の教師』(日本テレビ)が放送開始。最終回には浜田と木村拓哉が出演。

2001年4月21日に浜田主演のドラマ『明日があるさ』(日本テレビ)が放送開始。このドラマの主要メンバーで構成された音楽グループ・Re:Japanを結成して『明日があるさ』をリリース、同年の大晦日放送の『第52回NHK紅白歌合戦』にも出場した。

10月12日、突如打ち切りとなった『ごっつええ感じ』が『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』として一夜限りの復活を遂げる。これ以降ダウンタウンとして10年間、地上波テレビ放送ではコントを披露することがなかった。

2004年11月17日、作詞:松本人志、作曲・バックコーラス:槇原敬之、歌:浜田雅功として『チキンライス』を発売。

2010年代
2011年6月5日放送の『爆笑!大日本アカン警察 2時間スペシャル』で、事務所の後輩であるナインティナイン(岡村隆史・矢部浩之)と14年ぶりの共演。

2011年11月5日、NHK総合で松本出演のコント番組『松本人志のコントMHK』のレギュラー放送第1回目のゲストとして相方である浜田とコントを披露。ダウンタウンとしてコントを披露するのは2001年放送の『-ものごっつええ感じスペシャル』以来である。

2012年4月8日、吉本興業100周年特別公演にダウンタウン・今田耕司・東野幸治・130R・木村祐一などでかつて花月で行われていた興行「ポケットミュージカルス」を復活。公演内容は『ごっつええ感じ』の男性陣で構成された人気コントキャラ・エキセントリック少年ボウイオールスターズによる『「エキセントリック少年ボウイ」のテーマ』や、浜田が『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』を熱唱するなど豪華なラインナップであった。

10月20日、 ダウンタウン結成30周年記念特設サイトが公開される。

2013年2月5日から、吉本興業100周年記念公演『吉本百年物語 アンチ吉本・お笑いレボリューション』で、ダウンタウンが若手時代に活躍していた「心斎橋筋2丁目劇場」が舞台化された。この公演ではダウンタウンを間慎太郎(浜田)、趙珉和(松本)が演じた。

2014年3月31日放送の『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』で、一部ネットなどで不仲説が囁かれていたとんねるず(石橋貴明・木梨憲武)と1994年10月3日放送の『FNS番組対抗!なるほど!ザ・秋の祭典スペシャル』(フジテレビ系)以来となる約20年ぶりで2回目の共演を果たし、同じく不仲説があった爆笑問題(太田光・田中裕二)と1989年1月1日放送の『初詣!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)以来となる約25年ぶりの共演を果たした。また、ウッチャンナンチャン(内村光良・南原清隆)ともコンビとしては1998年『いろもん豪華特別版』(日本テレビ系)以来となる16年ぶりに共演している。

2015年8月28日放送の『ダウンタウンなうSP』で、B21スペシャル(ヒロミ・ミスターちん・デビット伊東)と『全員出席!笑うだってば』(日本テレビ系)以来となる26年ぶりの共演を果たした。

2020年代
2021年8月28日〜29日放送の『FNSラフ&ミュージック』に松本がサポーターとして出演。第1夜では生ブッキングのコーナーで内村に生電話して出演交渉を行い、第2夜では番組終盤にて内村と『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』以来となる7年ぶりに共演し、ダウンタウンとウッチャンナンチャンの2組で番組をやりたいと話していた。さらに爆笑問題とも『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』以来となる7年ぶりの共演を果たした。

10月2日放送の『お笑いの日2021』では、『賞金奪い合いネタバトル ソウドリ〜SOUDORI〜』のMCである有田哲平(くりぃむしちゅー)とTBSで、『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ2005』以来となる16年ぶりの共演を果たす。

漫才
漫才のネタはコント漫才が多く、代表的なネタとしては「誘拐」「医者」「クイズ」「『あ』研究家」などがある。

松本のボソボソと喋るボケに浜田のいなすようなツッコミが特徴で、漫才ブームの頃はハイテンポなしゃべりが主流だったためゆっくりなテンポで間を空けた漫才スタイルは異質で、横山やすしからは「チンピラの立ち話」と酷評された。

『ダウンタウンのごっつええ感じ』でコントに注力するようになってからは、ダウンタウンとしての漫才はビデオ『ダウンタウンの流』を最後に披露していない。

漫才師としての評価
島田紳助は紳助・竜介時代、NSCでダウンタウンの漫才を見た時の衝撃は忘れられないと語っている。漫才ブームの頃は速いテンポの漫才が多かったが、ダウンタウンの漫才はそれよりも遅いテンポだったため松本に「このテンポはどうするんや」と尋ねると、「いや、俺らはこのテンポ変えるつもりはありません。このままでいきます」と返されて後に紳助はダウンタウンの漫才の方向性が正しかったことに衝撃を受けた。また、紳助・竜介が解散するきっかけとなったコンビがダウンタウンであり、1985年5月にうめだ花月上席の舞台袖でダウンタウンの漫才を目にしたことで自分達の限界を感じ、吉本興業本社に出向きコンビ解散の意思を告げた。同年5月20日に行われた記者会見で紳助は、解散理由について「阪神・巨人やサブロー・シロー、ダウンタウンには勝てない」と、当時まだ無名であったダウンタウンの名前を挙げた。

ビートたけしは、松本との対談でダウンタウンの漫才について「(ツービートの漫才は)あの当時としては新しいことをやってたんだけど、かなり荒いんだよね。その時代のあとに出てきたダウンタウンはもっときめ細かい。おいらの2、4、6、8というネタの切り取り方が、1、2、3、4でとってきたという感じ。乗った時は0.1とか0.2の刻みでとり出したという感じがある。スピード的には2、4、6と飛んでいくから、B&Bとかおいらの漫才のほうが早いんだけど、ダウンタウンは0.1をじっくりもたせちゃうというところがある。おいらの5分ネタを30分ぐらいやれる細かさで、その感じをよくわからせたのがダウンタウンの漫才だ。それは進化だと思う」と評した。

宮川大助(宮川大助・花子)は、医者の漫才で「衛星ひまわりから撮ったレントゲン写真です」というボケを聞いた際に「あ、負けたなと。そんなの想像できひんなと思った」と当時の衝撃を語り、「時代が変わる」と感じたと振り返っている。

コント
『今夜はねむれナイト』のコーナー「ダウンタウン劇場(シアター)」で初めてセットを使ったコントを披露した。ウンナン・野沢直子・清水ミチコとのコント番組『夢で逢えたら』でユニットコントを演じ、『ダウンタウンのごっつええ感じ』では多くのコント・キャラクターを生み出し、ベタなコントからマニアックなコントまで幅広く演じた。

小松純也は松本人志およびダウンタウンのコントについて、「作り手としても演じ手としてもすさまじいっていうことじゃないですか。結局、演じることに長けている人はいる。お笑いの作り手としても、部分部分は優れてる人はいると思うんです。けれど、あの人の場合はそれが全部同居している。発想の次元でいうと、それまでのコントと彼ら以降で一番変わっていった大きなポイントというのは、「面白い人がいてその人が面白い」ということではなくなった。「関係性の笑い」をメジャーにしていった」と語っている。

悲しさや切なさを感じさせるコントも多く、松本は「僕、ハッピーエンドが嫌いなんですよ。だから映画でもそうなんですけど、ちょっとどこか救われへんのが好きやったりするんです。ハッピーエンドやと終われないんですよ、やっぱり。ハッピーエンドで終わっても何か一旦終りみたいな。(中略)でも、理屈じゃなくてありますね。どうしてもそっち……行きますね。『トカゲのおっさん』なんてほんと悲しいですよ(笑)。(中略)でも、おもしろいことってね、切ない中にあると思うんですね。何か切ないからおもしろい方向に行ってしまうっていうことは絶対あると思うんですよ」と語っている。
 
 
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