テレビ東京で放送されているスポーツバラエティ番組「新春!芸能界オールスター草野球2023」の無料動画や見逃し配信の無料視聴方法、再放送などについて紹介したいと思います。
気になる番組は何回も見たいし、TVer(ティーバー)やabema(アベマ)、加入者の多いHulu(フールー)やNetflix(ネットフリックス)など、どういったサービスで観れるんだろう?って気になりますよね?
「芸能界オールスター草野球」の動画配信に関してなのですが、「芸能界オールスター草野球」は現在動画配信サービスでの配信は行われておりません。
この「芸能界オールスター草野球」の動画配信が今後行われるとすれば、テレビ東京で放送されていることから動画配信サービスU-NEXTになると思います。
目次
「芸能界オールスター草野球」以外にU-NEXTで見れる動画
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「芸能界オールスター草野球2023」中居正広が電撃加入
芸能界オールスター草野球▼出川軍に中居正広が電撃加入でヤバいよヤバいよSP
草野球好き芸能おじさん達の超スローな草野球を、テレ東の野球チームがプロ野球同様に撮影してお送りする、年末年始でどこよりも緩い「草」野球特番(今年で3回目)です。
出川哲朗「テツローズ」に超大物!中居正広が電撃加入!3年目の放送となる今年はあの岡村隆史が率いる強豪「オカックス」と対戦します。おじさんのプライドを賭けたリアルガチ野球。大物スラッガーも参戦で“ヤバいよヤバいよ”今回もおじさんたちの憧れ、神宮球場でひっそりプレイボール…。(神宮の皆様いつもありがとうございます)一年の最後に、野球大好きおじさんたちの本気を見て笑ってください!
「芸能界オールスター草野球2023」の出演者
出演者(出川軍)
【出川哲朗/Tetsuros テツローズ】
出川哲朗
中居正広
ウド鈴木(キャイ〜ン)
堀内健(ネプチューン)
飯尾和樹(ずん)
やす(ずん)
中岡創一(ロッチ)
せいや(霜降り明星)
粗品(霜降り明星)
出演者(岡村軍)
【岡村隆史/Okaxオカックス】
カンニング竹山
ジミー大西
武田真治
多田健二(COWCOW)
原西孝幸(FUJIWARA)
高橋智(へびいちご)
濱口優(よゐこ)
田村淳(ロンドンブーツ1号2号)
鍛冶翔太
「芸能界オールスター草野球2023」
新春!芸能界オールスター草野球2023
年末年始テレビ東京で一番豪華キャストが揃う芸能界オールスター草野球!出川哲朗とさまぁ〜ず自ら選手を招集し野球もお笑いも真剣勝負!サプライズに大乱闘&爆笑珍プレー
決戦の舞台は出川が愛するスワローズの本拠地、神宮球場。
今年も夏頃から中核メンバーであるロッチ中岡と綿密な会議を重ねメンバーを選考。一方のさまぁ〜ずチームは初参戦ということでユニフォームのデザインから時間をかけてチーム作りに着手し出川軍にひけをとらない豪華メンバーの招集に成功。さらに国民的風物詩の箱根駅伝に対抗する為にプロ野球やMLBのエンターテイメント感も取り入れ球場の大型ビジョンを使った演出やイニング間で選手が驚愕する演出を実施。試合では出川とさまぁ〜ずが往年のギャグを繰り広げる爆笑で感動的なシーンまで。笑いあり、真剣勝負あり、涙あり、サプライズありの“ここにしかない”野球エンターテイメント番組。
「芸能界オールスター草野球2023」の出演者
<出川チーム/テツロウズ>
出川哲朗、飯尾和樹・やす(ずん)、ウド鈴木(キャイ〜ン)、ジョニ男(イワイガワ)、堀内健(ネプチューン)、中岡創一(ロッチ)、ゴリけん、粗品、せいや(霜降り明星)
<さまぁ〜ずチーム/ヴァカンス>
三村マサカズ・大竹一樹(さまぁ〜ず)、つぶやきシロー、たくや・かずや(ザ・たっち)、イジリー岡田、岡安章介・土屋隼人・下地輝明(ななめ45°)、西村瑞樹(バイきんぐ)、小沢一敬・井戸田潤(スピードワゴン)、コカドケンタロウ(ロッチ)
「出川哲朗」について
「出川哲朗」は、日本のお笑いタレント。劇団SHA・LA・LA座長。愛称はてっちゃん。
神奈川県横浜市神奈川区出身。マセキ芸能社所属。妻は元レースクイーンの阿部瑠理子。大伯父に八幡製鐵の初代社長を務めた三鬼隆、曾祖父に実業家・政治家の三鬼鑑太郎、母方の遠戚に女優の原節子がいる。 上島竜兵(ダチョウ倶楽部)と並ぶリアクション芸人の代表格であり、数多くのバラエティ番組で活躍している。
横浜市立幸ヶ谷小学校2年から、滋賀県大津市にある月心寺にて調理実習の経験ありとの表記。武相高等学校卒業後、1985年に横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)を卒業。その際に3年B組金八先生2の加藤優(直江喜一)の卒業スピーチをリスペクトした卒業スピーチを行った。当時は役者志望だった。1987年2月、専門学校時代の同級生だった内村光良、南原清隆、入江雅人らと『Project team SHA.LA.LA.』(現・『劇団SHA・LA・LA』)を旗揚げし、自ら座長となり、公演を開始する(1998年8月に一旦活動休止)。この時は自ら、メンバーを含めたギャラ交渉・スケジュール管理をしていた。
1986年、『君は裸足の神を見たか』で映画デビュー。1986年から1989年まで、端役ながら映画『男はつらいよ』シリーズの第37作『幸福の青い鳥』から第41作の『寅次郎心の旅路』まで、5作品連続で出演している。この時期は他にも多数の映画にエキストラとして参加しており、ウッチャンナンチャンから「エキストラの帝王」と呼ばれていたこともある。
1990年4月からはテレビ番組『ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.』に出演、この頃からテレビタレントとして本格的に活動を始め、第一興商の業務用カラオケの映像(KATSUMI「YES,抱きしめて」)などにも出演していた。
その後、テレビ番組『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』をはじめとした、体を張ったロケ・ドッキリ企画などで見せる振る舞いやリアクションの面白さが徐々にお茶の間に浸透し、「お笑いって素晴らしい」とお笑いに目覚め、次第にテレビ番組において欠かせない、いわゆる「汚れ役」「イジられキャラ」としての地位を確立していった。
1993年、第13回ビートたけしのお笑いウルトラクイズ優勝。
一方、多くの写真週刊誌・ゴシップ誌の恰好のターゲットともなった。また、この「汚れ」キャラクターが世の中に浸透していくにつれ、女性視聴者層から敬遠される傾向が出始め、女性ファッション誌『an・an』が毎年行っている読者アンケート「嫌いな男ランキング」では毎年上位にランクインするようになり、2001年から2005年までに5年連続1位を達成し、「殿堂入り」扱いとしてアンケートの対象から除外された。しかし2007年2月放送開始の世界の果てまでイッテQ!に出演し体を張ったリアクション芸・「デヴィ夫人の死ぬまでにやりたい10のコト」などでのデヴィ夫人との掛け合い・出川イングリッシュなどで、「汚れ役」と「いじられキャラ」の徹底した仕事、出川本来の人柄が認知され、現在は人気・好感度の高いタレントとなった。
2004年4月5日、後輩のしょうへいの紹介で知り合った、元モデル・レースクイーンの阿部瑠理子と結婚し、当時の嫌われキャラとのギャップで世間を驚かせた。プロポーズの際には、テレビ番組『ロンドンハーツ』が全面的に援助。推定5000万円の制作費を費やしてイタリア・ローマ市内でロケーションが行われ、一連の模様が全国ネットで放送された。
2009年4月23日にインターネット放送のアメーバビジョンにて、自身初の冠番組『出川哲朗の俺をおいしくしろ!』が放送開始(アメーバビジョンスタジオの閉鎖に伴い、2010年3月で終了)。
2014年8月、地上波初の冠番組『出川哲朗のリアルガチ』(テレビ東京)の放送開始。2017年4月、ゴールデン帯初の冠番組『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』がテレビ東京にて放送開始。
人物
実家は横浜市の老舗海苔問屋『つた金海苔店』(株式会社蔦金商店 1894年創業)で、哲朗の家族が経営しており、哲朗自身も過去に取締役に就いていたことがある。商品の一つとして哲朗の顔写真を使った「元気のりのり」の焼き海苔と味付け海苔が発売されている。それはこれまで何度か番組で紹介されたことがあり、その際には兄も登場したことがある。
中学時代は水泳部、高校時代は軟式野球部に所属していた。野球は左打ち。武相高等学校の後輩にパンチ佐藤(1期下)、堤下敦がおり、中学の後輩には坪倉由幸がいる。役者下積み時代の仲間にエド・はるみがいる。
高校時代はヤンキーで、当時のあだ名は「キレたナイフ」だったと自称している。
矢沢永吉の大ファンである。自身の人生におけるバイブルとして矢沢永吉自叙伝『成り上がり』を挙げており、尼寺での修業中には毎晩寝る前に何度も読み返し、これからの自分の人生を見つめ考えたと発言しており、2014年9月に出演した番組「出川哲朗のラジカントロプス2.0」では、自分をこの世界に導いてくれた曲として「鎖を引きちぎれ」を挙げている。
好きな映画にローマの休日、ゴッドファーザー、グリース、男はつらいよを挙げている。グリースは学生時代に付き合っていた彼女と一緒に初めて見た映画で、非常に思い入れ深い映画であると述べている。また、芸能界に入ろうとしたきっかけのひとつに、男はつらいよに出演したかったことを明かしている。
プロ野球・東京ヤクルトスワローズの熱烈なファンで、プロ野球シーズン中はスケジュールの合間を縫って明治神宮野球場に足を運んでいる。2012年11月、球団からスワローズ公式ファンクラブ「スワローズ クルー」の名誉会員に任命された。安田猛に興味を持ったことがファンになったきっかけだという。なお、神宮球場でカレーを食べながら観ていたら、ヤクルトが試合に負けていたこともあり、後ろの方から「出川! カレー食ってる場合じゃねえだろ!」と怒鳴られて、以降それがトラウマで神宮球場のカレーが食べられなくなった。
以前から、夢は「単独司会のレギュラー番組を持つこと」と各所で語っていたが、海外・爆破ロケなどの長期収録企画に出演できなくなってしまう可能性があったため、なかなか実現に至らなかった。2009年4月23日に、インターネット番組『出川哲朗の俺をおいしくしろ!』がスタートした(2010年3月終了)。ゲストが出川をおいしくするというタイトル通りの内容で、第1回のゲストは、苦楽を共にした大親友の松村邦洋が出演した。また、2011年4月から2014年3月まで3年間『大!天才てれびくん』にて、鈴木あきえと共に司会者を務めた。
ゴルフも好きであるが、マナーが悪かったり、ルールを守らなかったりするエピソードがある。例えば、スイングの空振りを1打に数えなかったり、バンカーで打つ際にクラブを砂につけたりするといったルール違反が多い。
愛車はポルシェ964カレラ2。
お酒が飲めない、いわゆる下戸である。水代わりにコーラを飲むほどの炭酸飲料愛飲者だったが、これが原因で2017年に入院(後述)し、以後は飲んでいない。
座右の銘は、「一生懸命頑張れば、誰かが見ててくれる」。
有吉弘行に付けられたあだ名は、「ヘルニア崩れ」。妻からは「くそてつ」と呼ばれている。
妻の実家に結婚の申し込みに行った際、ずっと正座して緊張していたところ、相手の親から「出川さん、足崩していいです」と言われ足を崩し安心した瞬間、放屁してしまったが、妻の母が「やっぱり出川ね」と言ったため場が和んだというエピソードがある。
芸能界のライバルは上島竜兵である。
父親と祖父が58歳でそれぞれ亡くなっており、自身も2022年で58歳を迎える事から「絶対死にたくない」「下手したらあと1年(以内)で『さようなら出川哲朗』ってなる」と嘆いている。2022年5月11日にはライバルの上島竜兵の訃報を受け、予想の現実化を懸念する声も上がったという。
特徴
舞台仕込みの大きなダミ声が特徴的。「ヤバいよヤバいよ」などの口癖は多くの共演者達にものまねされている(後述)。
視力が悪いため、テレビ番組に出演する際などにはコンタクトレンズを使用している。
滑舌が悪く、よく噛んでいる。耳が遠く、聞き間違いが多い。
手の小指の第一関節・第二関節だけを同時に直角に曲げられ、指折りで数える時は親指から順番に拳を開いていくという独特の数え方をする。
自分の意見を他人に反論されると拒否したり、未体験のスポーツなどを「めちゃめちゃ得意」と様々な場面で粋がったりすることが多い。
「ザリガニは相方」と称しており、リアクション芸の際に頻繁に登場している。
健康状態
2006年頃から椎間板ヘルニアや坐骨神経痛などを患い、2007年頃になると歩行時には杖を使わなければならないほど悪化した。本人はテレビ収録が始まりカメラに映ると痛さを忘れてしまうと語る。その後、過酷なロケや罰ゲームなどが行えないほど悪化したため、2008年3月末に緊急入院し腰の手術を受け、10日ほどで完治退院・仕事復帰した。しかし、2009年12月下半期出演分の『内村さまぁ〜ず そろそろ人間ドックで体の不安を解消したい男達2009!』放送に伴い受けた検査で椎間板ヘルニアの再発が確認され、番組内で公表された。
2015年3月、テレビ番組「宝探しアドベンチャー 謎解きバトルTORE!」の収録中に転落し、右足を骨折する怪我(全治6週間)を負った。
2017年9月6日、胆管炎のため入院。同月14日、退院を報告。
交友関係
専門学校時代の同級生だったウッチャンナンチャンとは親しい関係で、ウンナンおよび内村・南原単独の関係番組には、レギュラー・準レギュラー・ゲストにかかわらず、そのほとんどに出演している。また、内村と親しい関係にあるさまぁ〜ずの2人とも仲が良く、三村のことを「三村っち」、大竹のことを「竹ちゃん」を呼び、また共演が多い。三村曰く「認めている芸人をあだ名で呼ぶ」らしく、内村を「チェン」、小木博明のことを「オギーブン」、東野幸治のことを「ヒガシノリン」、バカリズムを「まこっちゃん」と呼ぶ。 ただし、岡村隆史についてはフルネームで呼んでおり、岡村もたまにだが、出川をフルネームで呼んでいる。
松村邦洋は、出川が無名の頃から彼のものまねを各所で披露して知名度の向上に一役買ったり、電波少年で共演したりするなどの深い絆で結ばれている。松村については「松ちゃん」と呼んでいる。
堀内健とも仲が良く、2014年以降、堀内が制作・主演する舞台に出演している。
テレビ番組「アメトーーク!」の「出川ファミリー」特集と「出川ナイト」特集では勝俣州和、キャイ〜ン、千秋、よゐこ、カンニング竹山、土田晃之が出演した。
鈴木あきえからは芸能界の父と慕われ、結婚式では真面目に神父役も勤めた。
濱口優からは、妻となった南明奈との交際のきっかけを出川がつくった事から、愛のキューピッドとして恩人扱いされている。
中岡創一とは2012年に神宮球場で意気投合して以来プライベートで常に行動を共にする仲。
朝比奈彩と交流がある。
ものまねの対象
その特徴あるダミ声から、数多くのタレントにものまねされている。このとき、出川の口癖である前述の「ヤバいよヤバいよ」のほか、「リアルに」「(他人の名前の後に)〜っち」というフレーズが使われることが多い。
例外として、内村は出川のものまねについて「みんな哲ちゃんのものまねをする時、『ヤバいよヤバいよ』って言うけど、『ほったら(「そしたら」という意味)』の方がよく使っている」として、「ほったら」を多用する。また「ないしょ」のポーズ(「しーっ」のアクション、普通は人差し指を唇の前に立てる)で人差し指を眉間に当てるといった出川の細かい形態模写をする。
また、モノマネをされるようになってからモノマネ芸人のしゃべり方に本人が合わせにいくようになった。
評価
明石家さんまは2005年、自身の番組『恋のから騒ぎ』で出演者であるタレント志望の一般人女性が「将来は出川哲朗のような二流芸能人で適当に暮らしたい」と発言したのに対して、「出川は一流や!」と返している。この放送を自宅で見ていた出川は、感激のあまり号泣した。
竹山は、老若男女問わず同じ目線で接することのできる出川を高く評価しており、「出川さんって本当に『国民のおもちゃ』なんですよね。いい意味でね。みんなが遊んでいいおもちゃ」と表現している。
芸風
ダチョウ倶楽部の上島竜兵と共にリアクション芸人の第一人者であると称される事が多く、リアクション芸人の第一人者としてのプライドを持ち、経験から学んだ数々のノウハウを持っている。
ザリガニに顔をいじられる芸は得意で「いただきまーす」と言いながら自分の鼻にザリガニのはさみを故意に近づける。
ギャグ、口癖
「ワイ?(Why)」と言いながら両手を挙げる – なおこの時の両手の形はYではなくWを意識している。
ヤバいよヤバいよ(リアルにヤバイよ) – 本来はリアクションの一環だが、現在では主に想定外の事態が起きたときに用いる(例えば、ゴール目前で充電切れを起こした場合)。ものまねではよく使われるが、自分ではあまり言わない。どちらかというと「ヤバイヤバイ」や、「ヤバイヤバイヤバイ」と連呼することの方が多い。
お前はバカか!? – 自分の頭を指差す。共演者を罵倒しているのではなく、理不尽なネタ振りをされた時に激怒する。
リアルガチ
ブログの最後には「俺はそうしてきた」とあるのが特徴。
9割ネイティヴ(イッテQなど)
オーマイガー(イッテQ、出川哲朗の充電させてもらえませんか?など)
「さまぁ~ず」について
「さまぁ~ず」は、ホリプロに所属する三村マサカズと大竹一樹からなる日本のお笑いコンビ。キャッチコピーは「東のコント職人」。2人とも東京都墨田区押上出身。
三村 マサカズ(本名:三村 勝和〈みむら まさかず〉1967年6月8日)
身長165cm、血液型A型。
ツッコミ(ネタによってはボケ)・ネタのツッコミ作り担当、立ち位置は向かって右(たまに左)。強めのセクハラ担当でもある。
大竹 一樹(おおたけ かずき、1967年12月8日 – )
身長170cm、血液型O型。
ボケ(ネタによってはツッコミ)・ネタの原案作り担当、立ち位置は向かって左(たまに右)。ユルめのセクハラ担当でもある。妻はフリーアナウンサーの中村仁美。
デビュー前
2人とも東海大学高輪台高等学校工業科(現:東海大学付属高輪台高等学校)に単願推薦で入学し、2学年の時に同じクラスとなったことがきっかけで出会う。坂上忍も同級生だったが、2人と出会う前に中退しているため芸能界で初対面となった。
1988年5月、既に事務所からスカウトされていた高校時代の同級生に連れられホリプロの事務所へ見学に訪れたのがきっかけで、お笑いの道へ進むことになった。デビュー当初は元同級生・大竹・三村によるトリオ(トリオ名は『しゃぶしゃぶ』)を組むも、短期間で解散。後に東海大学文学部北欧文学科スウェーデン語専攻在学中に大竹が大学で知り合った友人を三村に紹介し、再びトリオを結成。だがその友人も程なくして脱退した。
バカルディ時代
1989年4月、ホリプロのお笑いライブに出演してコンビ『バカルディ(『バカルディー』の表記も混在)』として本格的な活動を開始。コンビ名の「バカルディ」は、ネタを考えていたときに着ていたバカルディのTシャツの文字が由来。また、ダブルミーニングとして日本語の「バカ」の意味も込められている。同期に田口浩正と小浦一優(芋洗坂係長)が組んでいたコンビ『テンション』等がいる。
1990年代前半、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』の審査員をしていた山藤章二の支持を受け(他の審査員はキリングセンスを支持していた)、関東期待の若手芸人としてテレビ・ラジオ等で活躍。同時期に人気を博したホンジャマカと共に当時の人気力士に準えて「お笑い界の若・貴」とも称され、各局にレギュラー番組を持った。しかし『大石恵三』がわずか半年で打ち切りになると1990年代半ば頃からメディア露出の機会が減少、不遇の時期を過ごす。当時『ボキャブラ天国』の出演を打診されるも大竹は断った。番組がヒットしてボキャブラブームが到来後に再度途中出演を打診されたが、「一度決めたことを今更変えられない」という思いを固持し番組終了まで『ボキャブラ天国』へ出演することはなかった。その後は主な活動の場を舞台へと移し、コンスタントにライブ活動を続けていた。
さまぁ〜ず時代
2000年に出演した『新ウンナンの気分は上々。』(TBS系)の企画において、コンビ名を『さまぁ〜ず』へ強制的に改名させられた(後述)。これをきっかけに再び世間の注目を受け始め、三村独特の「〜かよ!」に代表されるツッコミ芸(通称「三村ツッコミ」)が認知され再ブレイク。これを足掛かりとして徐々に活動の場を広げていった。
2000年以後は人気が定着、お笑いブームの中でゴールデンタイムから深夜番組まで八面六臂の活躍ができる中堅芸人としてテレビを中心に活躍。舞台、書籍などでも活動している。
2003年、第41回ゴールデン・アロー賞芸能賞受賞。
2007年はフジテレビとNHKを除くキー局で新番組が開始するなど飛躍。深夜のレギュラーが多いことから「深夜の帝王」という異名を付けられた。
2010年、大竹が第10回M-1グランプリ決勝の審査員を務めた。
2011年、大竹が第10回M-1グランプリに引き続き、THE MANZAI 2011の決勝審査員を担当。
2014年7月、日本テレビ系で新番組・ネリさまぁ〜ずが開始。NHKを含む全てのキー局で同時にレギュラー番組を持つ。
同年10月9日、第31回ベストジーニスト2014で協議会選出部門で受賞。
2015〜2020年まで、同じ事務所の後輩であるバナナマンと共にコンビでキングオブコント決勝の審査員を担当していた。
2020年8月12日、YouTubeチャンネル「さまぁ〜ずチャンネル」を開設。
芸風
深夜帯のトーク系バラエティ番組が多いことから、テレビタレントとしてのさまぁ〜ずの芸風は「ユルい」と評されることが多い。これについて三村は「ユルいことやってるつもりはないけどそう見られる」、大竹は「ユルいは俺らにとってあまりいいことじゃないのに」と語っている。
ネタは主にコントで、ネタ作りは共同で行う。大竹がネタの大半を作り、三村がツッコミのフレーズを考える。大竹の「大竹ワールド」とも称されるシュールなボケと三村の「〜かよ!」に代表される豪快なツッコミが特徴的で、ダウンタウンの漫才の芸風に似ていると言える。「〜かよ!」は三村の持ちネタだと思われがちだが、大竹も使っている。毎年(2005年以降は2年に1回)開催している単独コントライブはチケットが即日完売するほど人気や評価が高い。メンバーは自分たちの本分は舞台コントにあると考え、多くのレギュラー番組を持っている現在でもコントライブに重きを置いており「東のコント職人」と評されている。テレビでは、コントをベースとした漫才(コントで用いる道具を使用しないなど)を披露することもある。他にも大竹の考えたダジャレをコントのネタに織り込んだり、提示されたフリップに対して三村がひたすら「○○かよ!」とツッコむ芸もテレビで披露することがある。
即興芸の場では2人とも下ネタを好み、セクハラネタも多い。下ネタやセクハラが多すぎたせいでBPOに苦情が来たことがあるほどであるが、オリコン調べの「好きな男性芸人ランキング」(2008年)では総合9位(明石家さんまと同率)、男性回答だと3位。同調査だと女性回答では5位圏外だが、情報誌『日経エンタテインメント!』が毎年行っている「好きな芸人嫌いな芸人ランキング」では男女での支持の差は、それほどない。また、同調査では若い世代ほど彼らを支持している傾向にあり同誌はそれを「冠番組のほとんどが深夜帯であるため、視聴者層がそのままランキングの結果に反映されているのでは」と分析している。
漫才の際は、登場時のツカミとして汗を拭うフリをしながら「夏だからっ、さまぁ〜ず!」と言うものがある(夏以外の場合は「○○なのに、さまぁ〜ず!」となる)。このツカミの原案を考えたのは有田哲平(海砂利水魚、現・くりぃむしちゅー)(後述の改名対決の際)だが、ほとんどの場合大竹はこのツカミをやらず苦笑いで無視し、三村に「やれよ!」とツッコまれる。また主にネタ見せ番組などでの出囃子(登場する際のBGM)として、TUBE『SUMMER CITY』などが使われる。
デビュー当時はボケ・ツッコミを入れ替えてネタを行っていたが、三村がボケていると自覚する笑顔が不評だったためツッコミを担当するようになった。元々はコント以外のフリートークやバラエティ番組などでもボケ(大竹)とツッコミ(三村)の役割がはっきりしたコンビだったが、『内村プロデュース』へ出演するようになって以降こうした番組では2人が等しくボケ合ったり、大竹がツッコミ役に回ることも多くなった。これについて三村は「以前はいいボケを思いついても大竹の役割だからと遠慮していたが、『内P』でその遠慮が消えた」と語っている。
1990年代前半から単独ライブをソフト化しており、先進的な試みであった。
ゲスト出演した『グータンヌーボ』では「ボケがドSでツッコミがドMの珍しいコンビ」という診断結果が出たことがある(精神科医の名越康文による)。実際、コント内でも大竹の理不尽なボケの連続に三村が対応しきれず、慌てふためいたところに笑いが起こるといった状態がよく見られる。
冠番組を多数持つが、MCには苦手意識がある。特に三村は自身の仕切り能力を自己分析した結果「司会はできない」と公言し、周囲も認めている(ただし『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』など司会を務める番組の進行は強制的に三村が担当)。そのためか「さまぁ〜ずに3人目を入れるなら司会進行のできるアナウンサーしかない」と2人の意見が一致している(3人目のメンバーの例として『Qさま!!』で一緒に進行しているテレビ朝日の清水俊輔アナウンサーを上げている)。
エピソード
楽屋が同室(『さまぁ〜ず×さまぁ〜ず』など2人だけでトークする一部の番組を除く)だったり、新幹線・飛行機などの移動の際に隣同士で座ること等から「仲がいい」と言われることが多い。後者に関して大竹は「隣に知らないおじさんが来るより”知ってるおじさん”が来たほうがいい」と理由を述べている。
喧嘩なども少ないが理由としては「他の芸人と戦わねばならないのに、コンビで喧嘩をしている場合ではないから」と語っている。
「大竹は神経質で潔癖症。三村はガサツでおおらか」というイメージがあるが、実際は三村もかなり神経質であり、三村がものすごく気にする事を逆に大竹が全く気にしない事もある。
低迷していた頃、三村は大竹に「バカルディの核は大竹だ。ヨゴレ仕事は全部オレが引き受けるから、お前は思う存分ネタを書け」と言い続けていた。
あくまで本業はお笑いであるとお笑い系でない仕事を多く断っており、社内では売れていないくせに態度が大きいと不評だったという。
三村はその間、ほぼ手しか映らないようなレポーターなどやや毛色の違う分野で活動しコンビを支えた。その一方、大竹は地上波などのバラエティ番組(日本テレビ「ジャムパラ」など)の構成を担当する時期もあった。
コンビ愛は強く、三村は『いろもん』ソロで出演した際のことを「俺の面白さに満足するんじゃねぇよ!と思ってた。バカルディには俺の後ろにもっと面白い奴(大竹)が控えてるんだぞ!」と振り返っている。
出川哲朗はさまぁ〜ずのコンビ愛の象徴的エピソードとして上記の逸話を好むが、大竹曰く「(レポーター等の)ギャラは全て三村のみであり、自分は生活が苦しかったので支えてもらっていたわけではない」と語っている。
2人の身長差はないように見えるが、三村は普段から厚底靴を愛用している。(三村は165cm、大竹170cm)
冠番組にはほぼ全てコンビ名「さまぁ〜ず」、もしくは「さまぁ〜ず」をもじったものが付いている(特に深夜番組)。これはテレビ欄を見たときに誰が出ている番組かすぐに分かるようにするためと、これならさまぁ〜ずに興味のない人はまず見ようとしないだろう、という大竹の戦略によるもの。これを続けている以上、ファンが根強いファンになることはあっても、それ以上増えることも減ることもまずないだろうと2人は語っている。
テレビ番組でのイメージカラー(名前テロップ、発言テロップ、衣装の色など)について、おおむね大竹は青、三村は赤が多い(「トゥルルさまぁ〜ず」のみ、大竹はピンク)。
伊集院光は『大石恵三』が視聴率が悪く打ち切られた事がバカルディ時代の低迷・不遇の原因だと指摘している。また、メンバーは当時の自分たちを「クソつまらなかった」と振り返っている。
1996年頃、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の番組内で三村のツッコミが何度もネタにされた。岡村隆史(ナインティナイン)は当時から三村を「関東一のツッコミ」と称賛し各所で三村のものまねを披露していたが、当時の三村の知名度からテレビでそのシーンが放送されることは稀だった。また『めちゃ2イケてるッ!』(フジテレビ系)のコーナー「笑わず嫌い王決定戦」にもコーナー開始当初から出演(一時期、裏番組の『ビートたけしの!こんなはずでは!!』のレギュラーであったため出演していない時期がある)。これらもまたさまぁ〜ずがのちに再び脚光を浴びる下地となっており、当人たちも様々な場所で「(再ブレイクは)ナインティナインのおかげ」と語っている。
2人とも学生時代からビートたけしが憧れの芸人である。また、北野武監督作品の映画のファンであることも公言している。お笑い芸人としてはとんねるず、ウッチャンナンチャン(特に内村光良を大変尊敬している)から、タレントとしてはタモリ、芸風としてはダウンタウンの影響が強い。芸人では唯一、とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンといったお笑い第三世代の3組と昔から現在までそれぞれ交流を持っている。
所ジョージはバカルディ時代から「俺は面白いと思うよ。俺が面白いだけで売れないかもしれないけどね」とそのコントを評価している。
下ネタやセクハラも辞さず既に「エロ芸」の域まで高めている2人だが『モヤさま』アシスタントをしていた大江麻理子アナは「さまぁ〜ずのお二人は普段非常に紳士的。だからセクハラも気にならない」と語っている。しかしその芸風でBPOに苦情が寄せられたこともある。
ズージャ語、いわゆる「業界用語」をおどけて使うことが多い(「ションテン(=テンション)が下がる」「ルーシー(=汁)が出る」など)。
出川哲朗・ネプチューン・キャイ〜ン・よゐこ・TIMらと共にウンナンファミリーと呼ばれている。
2010年はリリースしたさまぁ〜ず関連のDVDが30本を超えた。冠番組のDVDについて大竹は「気がついたらこんなに増えていた」「DVDに相応しくないものは出したくないっていうスタンスじゃないとダメ」、三村は「あらかじめDVDにしますって番組が始まるのが一番嫌い。結果、作品としてよかったらDVDにしてくださいって言っています」と述べている。
携帯電話の普及後まもなく2人で一緒に契約しに行ったため、電話番号が2数字しか違わない。そのためお互いに相手の番号を覚えている。
2人とも好きなミュージシャンはサザンオールスターズで共通しており、桑田佳祐とも交流がある。
2人とも同じ美容室に通っている。また、偶然だが同じ美容室に通っている芸能人には桑田・原由子夫妻がいる。
桑田は2人の才能を認めており、『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』(フジテレビ)の収録中に前述の美容院の美容師を通して「なんかいいボケがないか、大竹ちゃんに訊いてくれる?」と尋ねたこともあったといい、収録では大竹が提案したボケを行ったもののオンエアではその部分はカットされたという逸話が存在する。また三村は自身がデザインしたTシャツを桑田にプレゼントしたことがあり、桑田の映像作品にも三村がデザインしたTシャツを着た姿が映された事もある。
改名のエピソード
TBS系列のバラエティ番組『新ウンナンの気分は上々。』において、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)と因縁の対決として数々の企画が組まれた。当初は芸能界引退を賭けた勝負だったが、いずれも未経験な競技ゆえに試合が白熱してしまい最初は洒落だと思っていたものが徐々に現実味を帯び始め、3回目の対決となった2000年10月20日放送分において陸上競技対決を行い、敗れた方が罰としてコンビ名を屈辱的な名前に改名させられることになった。敗れたバカルディは、半年間(後にもう半年延長)「さまぁ〜ず」として活動する憂き目に遭った。
「さまぁ〜ず」というコンビ名は内村によって命名された(原案は対戦相手である有田が考案。その時は「サマーズ」という案であった。)。由来は同番組内で2人が好きな物を質問された際に、大竹が「俺は一年中夏で良い」と答えたことによる。脱力感のあるひらがなと「〜」の表記、また「バカルディ」の名に愛着が湧いていたこともあり改名決定直後の2人は大きな抵抗があった。しかし事務所の対応はスムーズで、社内外の資料や仕事先での応対などは瞬く間に「さまぁ〜ず」へ移行された。
当初この改名は期間限定だったが、その期限が過ぎる頃になると徐々にブレイクし「さまぁ〜ず」で定着し始めた。2001年3月30日に「さよならさまぁ〜ず」と題して番組初の生放送でバカルディへの再改名をかけて再び卓球対決が行われ、白熱した挙句放送時間に間に合わず終了し、その翌週さまぁ〜ずが負けたことが放送された。この白熱は後に「ものすごい葛藤があったから」と三村は語っており、この放送翌日から「さまぁ〜ず」として腹を括ったとのこと。その後のビーチバレー対決(2001年9月28日放送)の際は有田が、さまぁ〜ずが負けたら個人の芸名をそれぞれ「ビーチ三村」と「大竹すいか割り」にする条件を突きつけたが、結果は海砂利水魚の負けとなり海砂利水魚は「くりぃむしちゅー」へと改名した。
しかし、芸人の看板とも言うべきコンビ名を安易に変えてしまった内村はその責任を重く感じ、その後両コンビ(特にさまぁ〜ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、後のブレイクと現在の活躍を後押しする形となった。
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