【あちこちのすずさん2022】動画見逃し配信!伊野尾慧が聞く黒柳徹子の戦争秘話

NHK総合で放送されているドキュメンタリー番組「#あちこちのすずさん」2022の無料動画や見逃し配信などの無料視聴方法、再放送について紹介したいと思います。

気になる番組は何回も見たいし、TVer(ティーバー)やGYAO!(ギャオ)、加入者の多いHulu(フールー)やNetflix(ネットフリックス)など、どういったサービスで観れるんだろう?って気になりますよね?

この番組「#あちこちのすずさん」の動画配信なのですが、動画配信サービスU-NEXTで配信される可能性があります。

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「#あちこちのすずさん」2022今、戦争を見つめてみる

黒柳徹子の戦争秘話に千原ジュニアと伊野尾慧は▽アニメとVRで戦争を▽女学生マル秘大作戦▽恋人いない兵隊の女神▽軍国少女が見たリアル▽池田エライザ涙の理由は

黒柳徹子の戦争秘話に千原ジュニアと伊野尾慧は▽アニメとVRで戦争を▽アニメ1「“マッサージ”で戦った僕」▽アニメ2「ほかほか大作戦」女学生のマル秘大作戦とは▽アニメ3「不思議な女神」恋人いない特攻兵の心の支えは▽アニメ4「空から落ちてきた兵隊さん」軍国少女が見たリアル▽池田エライザ涙の理由は▽伊野尾と学生がアバターに変身!戦争中の暮らしをリアル体験▽「この世界の片隅に」片淵須直監督が語る戦争

「#あちこちのすずさん」の出演者

【出演】千原ジュニア,片渕須直,伊野尾慧,池田エライザ,黒柳徹子

「#あちこちのすずさん」伊野尾慧&池田エライザらが“戦争”語り合う

人気グループ・Hey! Say! JUMPの伊野尾慧が、8月12日に放送されるNHK総合『#あちこちのすずさん 戦争が“身近”になって…そして』に出演する。同プロジェクト4年目の参加となる伊野尾のほか、映画監督の片渕須直氏、千原ジュニア、黒柳徹子、池田エライザも参加する。

およそ80年前の太平洋戦争を生き抜いた、映画『この世界の片隅に』の主人公・すずさんのような人たちを探して「#」(ハッシュタグ)でつなげる「#あちこちのすずさん」プロジェクト。ウクライナで戦争が続く今年は“戦火の中の暮らし”や“分断された家族”など、戦争が生み出すさまざまな現実を目にしたり考えたりする時間がいつになく増えている。

今年のテーマは「戦争が“身近”になって…そして」。VR空間に再現した「すずさんの家」に現代の若者がアバターとなって飛び込み、戦争中の暮らしを体感。当時の若者たちを描いたアニメ作品を見ながら「現代の私たちと何が違うのか?同じなのか?」「戦争の何が問題なのか?」を戦争体験者やウクライナの当事者たちと語り合う。

また、去年に引き続き、各地の新聞やネットメディアと連携。長引く新型コロナウイルスの影響で、戦争を体験した世代との交流が困難な今こそ、地域の歴史や生活を見つめ続けてきた地方新聞やネットメディアとつながり、その土地ならではの“戦争中の暮らし”をともに発掘し伝えていく取り組みも。さらに、各地の大学ではワークショップを開催。SNSでは身の回りの“すずさん”のエピソードをハッシュタグで募集している。

【片渕須直(映画監督)】のコメント
世界中から戦火が絶えることがないのは悲しむべきことなのですが、今年は特にウクライナでの戦争で、それまでふつうの生活を営んでいた人たちが、突然戦火の中に投げ込まれてしまった姿が、SNSなどを通じて目の当たりにされてしまっています。80年近く前の戦争がどんなものだったのかも含めて「『戦争』が自分の身の回りにやって来る」とはどういうものなのか、感じていければと思います。

【千原ジュニア】のコメント
毎日のように戦争の報道がある中で例年以上に、この番組を放送する意義があるのではないかと感じております。皆さんと一緒に戦争というものについて、深く向き合うことができればと思っております。

【伊野尾慧(Hey! Say! JUMP)】のコメント
僕が「#あちこちのすずさん」に参加し始めて今年で4年目。たくさんの戦争体験者にお会いしてきたけれど、生きた人の分だけドラマがあって、それぞれ全然違うことにいつも驚かされます。今年は『戦争は他人事だ』と言いにくい状況になっているけれど、じゃあ僕は自分なりに戦争をどうとらえればいいのか?皆さんの生き方をヒントに考えたいです。

【池田エライザ】のコメント
未来を彩る学生たちと、未来を守る私たち。なかなか語り合えない戦争のこと。
もっと話し合いたい戦争のこと。世代もルーツもそれぞれな私たちが学んだ先にはどんな言葉が生まれるのか、どんな希望が生まれるのか、と考えると今からドキドキします。

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「黒柳徹子」について

「黒柳徹子」は、日本の女優、タレント、司会者、エッセイストである。日本史上最初のテレビ出演者のひとりで、ニュースショーのキャスターや、トーク番組の司会を女性では初めて務めた。愛称はトットちゃん、チャック。所属事務所は有限会社 吉田名保美事務所。

日本でテレビが放送を開始した1953年2月1日(日曜日)からテレビ出演を続ける、日本史上最初のテレビ女優である。テレビ草創期から活躍を続けるタレントの一人として知られ、日本史上最初のテレビ女優としては唯一、21世紀に至るまでテレビ番組のレギュラーを継続して持ち続けており、日本のテレビ放送史を代表する芸能人の1人であると言える。冠番組の『徹子の部屋』では、同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者として、記録更新中である。幅広い層が観るバラエティ番組に数多く出演しており、大御所同士だけでなく若手芸人とのトークも好評であるため、21世紀においても国民的人気を維持している。

『徹子の部屋』や『NHK紅白歌合戦』などの司会業、累計800万部を記録し、戦後最大のベストセラーとなっている『窓ぎわのトットちゃん』の著者、長年ユニセフ親善大使を務めていることで知られる。

テレビ番組だけでなく、舞台に出演したり、コンサートなどのイベントで司会を務めることも多い。新しい物好きで、2010年代以降ではスマホとガラケーの2台持ちでデコレーションを施した上で、SNSも活用し、特に福山雅治に勧められて始めたInstagramでは美的センスを活かして芸術作品のような映える画像を公開しており、10代から20代の若年女性にも好評である。黒柳も従来のテレビではありえなかった視聴者との直接の対話を新鮮に感じており、コメントもすべて読んでいる。

生い立ち
東京府東京市赤坂区(現・東京都港区)乃木坂に生まれ、父の音楽の練習場が洗足池近くに移ったため、旧東急目蒲線洗足駅に近い大森区(現・大田区)北千束町で育った。母が徹子を妊娠していた時、両親は男児が生まれるものと思い込んでおり、「徹」という名前を考えていたが、実際に生まれたのは女児だったため、やむを得ず「子」をつけて「徹子」にしたというエピソードがある。「黒柳」とサインを書くときには、柳の異体字である「栁」(木偏に夘)を使用する。

父は音楽家で、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)のコンサートマスターも務めたヴァイオリニストの黒柳守綱(旧姓田口)、母はエッセイストの黒柳朝(旧姓門山)。弟には幼くして亡くなった黒柳明兒、ヴァイオリニストの黒柳紀明、妹には元バレリーナで美容師に転身したエッセイストの黒柳眞理がいる。また、伯父には松竹蒲田撮影所の初代所長の田口桜村や、日本ニュースのニューヨーク支社長やアメリカ・メトロニュースの極東代表を務めた田口修治がいる。

幼少期は「問題児」とされたため、尋常小学校(現:公立小学校)を1年生の時に退学させられ、トモエ学園1年生に転校する。第二次世界大戦末期の1945年3月の東京大空襲をきっかけに、以前に北海道の母の実家から帰る汽車で青森の農家と隣り合わせた縁で青森県三戸郡(現・南部町)の諏訪ノ平に疎開する。

1945年8月の終戦後に東京に戻り、トモエ学園、香蘭女学校、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)声楽科卒業。

女優として
音楽学校卒業後オペラ歌手にはなれないと分かり、「自分の子どもに人形劇や絵本の読み聞かせを上手にできるお母さんになろう」と思い立って、「ひょっとしたら絵本の読み方も教えてくれるかもしれない」と新聞で見かけたNHK放送劇団の俳優募集の広告に応募、履歴書を持参すべきなのに郵送してNHKから注意されたり、筆記試験の会場を間違えて遅刻した上で、問題が分からず答案用紙の裏まで長所を書き連ねた上で、消しゴムで答案用紙を汚損するなどのトラブルに見舞われながら、約6,000人の応募者の中から第6次までの審査を経て13人の劇団員の1人として選ばれた。

NHK放送劇団では五期生で、同期には友部光子、里見京子、横山道代、幸田弘子ら。

放送劇団入社時の面接では「親に言ったらこんなみっともない仕事を(するのはやめろと言われた)…」、「こういう世界は騙す人が多いから気をつけろという話を聞く」などのマイナスな発言を繰り返したのにもかかわらず、採用に至った。

女優の志望動機は前述の通り「母親になった時に子供に絵本を読み聞かせられるようになりたかったから」だったが、1952年に翌年のNHKのテレビ放送に備え招かれていたアメリカ合衆国NBCプロデューサーのテッド・アレグレッティーの講演で「アメリカのテレビ局はスポンサーの影響でニュース・教養番組はテレビ放送全体の15%だが、一応公共放送が建前のNHKではニュース・教養番組が主になると聞いているので、世界の風俗・習慣・戦争を見る事が出来るので、永久的な平和がテレビによってもたらせる」を聞いて、プロとしての女優意識が目覚めた。

こうしてテレビ放送の開始を翌月に控えた1953年(昭和28年)1月にNHK放送劇団の一員となり、テレビ女優の第一号としてデビューした。

当初はラジオやテレビの通行人として出演しつつ、テレビの現場を学ぶ。

1954年、NHKラジオ第1で放送され、自身初の主演となったラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』(1954年 – 1957年)が開始した。

同番組は日本のラジオドラマ史上初めて大人の女性が子供の声を演じた番組である。「大人でも子どもの声を出せるはずだ」との劇作家・飯沢匡の発案により、NHK始まって以来のオーディションを経て、三男・トン坊役を演じて一躍有名になる。

以降も『チロリン村とくるみの木』(1956年 – 1964年)、『ブーフーウー』(1960年 – 1967年)などに出演し、さまざまなキャラクターの声を演じる。

子ども番組に加えて『若い季節』(1961年 – 1964年)、『夢であいましょう』(1961年 – 1966年)などの人気番組にも出演し、週6、7本のレギュラー番組を抱えるなど多忙を極めるようになる。

20代後半にはテレビとラジオのレギュラーが週に10本を数え、平均睡眠時間3時間という日が続いて、過労からすべてのレギュラー番組を降板し1か月の入院を余儀なくされる。

NHK専属女優時代の初めの頃、ディレクターは「私をずっと降ろしたがっていた」と述べている。

1958年の『第9回NHK紅白歌合戦』では、自身初となる『NHK紅白歌合戦』の紅組司会を務めた。それから22年の月日が経った1980年の『第31回NHK紅白歌合戦』で紅組司会に復帰し、1983年の『第34回NHK紅白歌合戦』まで4年連続、通算5回紅組司会を務めた。4年連続、通算5回の紅組司会という記録は、いずれも佐良直美に並び史上最多である。その32年後である2015年の『第66回NHK紅白歌合戦』では、総合司会として再度紅白の司会に復帰した。通算6度はNHKアナウンサー以外の女性の最多記録となっている。

1961年、第1回(昭和36年度)日本放送作家協会賞・女性演技者賞を受賞した。

舞台出身の俳優との間に演技力の差を感じていたことから、慕っていた杉村春子に文学座への入団を相談し、1961年に開設された文学座附属演劇研究所に3期生として入所。NHKを退社し演技を学ぶ。江守徹、高橋悦史らが同期。

文学座の分裂後、1970年に出演した東宝のミュージカル『スカーレット』(帝国劇場)でブロードウェイのスタッフとともに仕事をして親しくなり、作曲家のハロルド・ロームの夫人・フローレンスから「面倒見てあげるから、ぜひニューヨークにいらっしゃい!」と招きを受けて、もっと勉強したいとニューヨークへの留学を決意する。

1971年9月から1年間ニューヨークへ留学し、セントラル・パーク西隣のワンルームに生活する。ローム夫妻がニューヨークでの身元引受人となり、フローレンス夫人を「ニューヨークのお母さん」と呼んだ。『スカーレット』演出家のジョー・レイトンの夫人で元女優のイブリン・ラッセルの紹介により、スタニスラフスキー・システムに基づいてプロの俳優に指導する「メアリーターサイ演劇学校」にて演技を学び、開校以来初の東洋人の生徒となる。また、同じ建物の中にある「ルイジ・ダンススクール」でモダン・ダンスを学ぶ。アフターファイブには振り袖を着てカクテルやディナーなど社交の場に足を運び、「着物と洋服、どちらにも似合う髪型を開発したい」との思いから、ニューヨークで知り合って友人となったアメリカで活躍中のヘアメイクアーティスト・須賀勇介のアイディアを交えつつ、後にトレードマークとなる「タマネギヘア」を考案する。「あなたのように1人でぷらぷらしている人の目で世の中を見て、そのままの感性で好きに話してほしい」とのオファーを受けて日本初の女性司会者によるワイドショーで『徹子の部屋』の前身番組となる『13時ショー』(NETテレビ)の司会就任が決まり、放送開始前月の1972年9月に帰国する。

1976年のテレビ朝日の『徹子の部屋』の放送開始を機に、「役を演じながら司会もやると混乱を招く」「悪女役をしていたら、悪い人が話を聞いているみたいに思われる」との考えから、本人役などで出演した一部作品を除いてテレビでの女優活動を控えるようになる。

一方で、舞台女優として1989年より「海外コメディ・シリーズ」の上演を開始。劇作家・演出家の飯沢匡の発案により黒柳の主演で毎年秋に海外の喜劇を紹介する企画で、1994年に飯沢が死去した後は主に高橋昌也が演出を手掛けて、2016年秋で30回目を数えた。1997年には『幸せの背くらべ(英語版)』および『マスタークラス(英語版)』での演技により第38回毎日芸術賞ならびに第4回読売演劇大賞の大賞・最優秀女優賞を受賞、2013年には「永年の翻訳劇に対する情熱と功績に対して」の受賞理由により第38回菊田一夫演劇賞特別賞を受賞している。2017年秋の『想い出のカルテット〜もう一度唄わせて〜』では、同年8月末の右大腿骨骨折と手術を経て、設定を変更して車椅子で舞台を務めた。ライフワークとして30年間で32作品を上演し、2018年秋に上演の『ライオンのあとで』で幕を下ろした。継続を希望するファンの声を受けて、2019年10月には朗読劇『ラヴ・レターズ』の舞台に上る。

マルチタレントとして
1976年にはテレビ朝日で自身の冠番組『徹子の部屋』が開始。長寿番組となっている。2011年4月27日放送分(35周年記念SP第2弾『出張!徹子の部屋』)を以って放送8961回を迎え、「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」としてギネス世界記録に認定された。2015年5月27日には放送回数が通算10000回となり、上記の「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」を自ら更新し、再びギネス世界記録を受賞した。1995年には「橋田賞」を、1997年には「第23回放送文化基金賞」を受賞している。2006年には黒柳と『徹子の部屋』が第54回菊池寛賞を受賞した。受賞理由は「30年間休むことなく良質な対談番組を送り続けている努力」に対してである。

『徹子の部屋』開始と同じ1976年には、「主婦の選んだテレビパーソナリティーNO.1」に初めて選出され、1989年まで14年連続で選出された。

1978年からは、最高視聴率41.9%を記録する大ヒットになったTBSの音楽番組『ザ・ベストテン』が放送を開始し、黒柳は初回から1989年の最終回まで司会を務めた(なお、初期からコンビを組んでいた久米宏は1985年で降板した)。1978年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞する。

1970年代には『音楽の広場』『おしゃべりオーケストラ』などのNHKクラシック音楽番組の司会も大きな比重を占めた。ユーモラスな早口は同種番組としては異色だったが、芥川也寸志、尾高忠明らソフトな語り口の専門家たちとのコンビネーションも好評で、賑々しいが訊き上手でもあるというお茶の間のイメージを定着させている。

1981年、自身の著書『窓ぎわのトットちゃん』が出版された。単行本・文庫本を合わせて累計800万部を発行し、世界35カ国で翻訳された。累計770万部という発行部数は、日本国内において「戦後最大のベストセラー」となり、「トットちゃんブーム」が起こった。また、黒柳は同作で、「第5回路傍の石文学賞」やポーランドの文学賞「ヤヌシュ・コルチャック賞」などを受賞した。

1981年から1985年までの5年間と1987年には、高額納税者番付の俳優・タレント部門で、森繁久彌、大橋巨泉、石原裕次郎、三船敏郎、三田佳子ら時代を代表するタレントを抑えて1位となった。1985年には、タレントとしては珍しく政府の税制調査会に参考人として招かれ、その場で「現在の私の収入の90%が税金。1時間の番組の何分か話したらあとは全部税金。原稿用紙400字詰めの2行書いたら、あとの18行は全部税金。勤労意欲を失うことが無きにしもあらず。最高税率を10%下げて欲しい。」と発言した。この発言が影響を及ぼしたかは不明だが、2年後には最高税率が60%まで下げられている。

1983年には、「新鮮な発想と円熟した話術で視聴者の共感を呼び、新しい健全な娯楽番組の定着・充実に寄与した」として、第35回NHK放送文化賞を受賞した。

1984年より、国際連合傘下のユニセフ(国際連合児童基金)親善大使を務めており、現在でも精力的に活動している(詳細は後述)。

1986年にはTBS『世界・ふしぎ発見!』が放送を開始し、こちらも長寿番組になっており、黒柳は初回からレギュラー解答者として、毎回出演している。また、初回から毎回出演している人物は黒柳の他には総合司会の草野仁のみである。

1991年には「第7回東京都文化賞」および「外務大臣賞」を受賞している。

2000年代後半以降の活躍
2010年に「放送ウーマン賞」の日本女性放送者懇談会40周年特別賞を受賞。同年には、平成27年度文化功労者に選ばれた。2015年5月27日には『徹子の部屋』が放送回数通算10000回を達成した。

2017年にはこれまでの活躍が評価されて名誉都民に選ばれる。2020年には第29回石井十次賞を受賞。以後もテレビ番組『徹子の部屋』と『世界・ふしぎ発見!』にレギュラー出演するほか、声優や女優、司会者、国際連合児童基金の親善大使として幅広く活躍している。また、ほぼ毎年舞台に立ち続けている。

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