【世界!ニッポン行きたい人応援団】見逃し配信・動画の無料視聴方法!

テレビ東京で放送されているのバラエティ番組「世界!ニッポン行きたい人応援団」の無料動画や見逃し配信の無料視聴方法などについて紹介したいと思います。

「世界!ニッポン行きたい人応援団」は実にテレビ東京らしい企画で、他に類似コンテンツがあまりない人気のバラエティ番組です!

この「世界!ニッポン行きたい人応援団」の動画配信なは動画配信サービスParaviパラビで行われています。

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「世界!ニッポン行きたい人応援団」大阪&広島の名店を食べつくし

“お好み焼き”を心から愛す…イギリス女性が本場・大阪&広島の名店を巡り食べつくし!▽“わらじ”愛するハンガリー男性が「わら文化」に感激!初めて見る海で…激走!

「美味しい“お好み焼き”の作り方を勉強したい!」
イギリス・ロンドンで開催された「ジャパン祭り」で出会ったジェリーさん。大阪で行列必至の名店「美津の」へ。美味しく作るコツを教えていただく。さらに、もう一つのお好み焼き“ねぎ焼き”に「福太郎 本店」で舌鼓。そして広島へ!重ね焼きが特徴の広島焼の元祖「みっちゃん総本店」で特別に作り方を!あれから5年…お好み焼き作りが進化!

「本物の“わらじ”作りを学びたい!」
ココナッツ繊維のひもから独学でわらじ作りに挑戦しているハンガリーのクリスティアーンさん。山形県新庄市でこの道70年以上!わらじ職人の伊藤佐吉さんに作り方を学ぶ。
「まるで魔法みたいだ」と驚く、達人の手さばきが…!そして完成した“わらじ”を持って海へ!わらじを履き、大はしゃぎ!あれから6年…益々ニッポンの文化に興味がわき、ある驚きのモノを自作するまでに進化!

「世界!ニッポン行きたい人応援団」の出演者

【出演者】眞鍋かをり、高橋茂雄(サバンナ)
【ゲスト】坂下千里子
【ナレーション】増田明美、大塚芳忠

番組概要
世界で「ニッポンに行きたくて行きたくてたまらない」と願う外国人を探し出し、彼らの熱い想いを取材!!
彼らの夢、〜日本で○○したい!〜を応援するためご招待しようというのが、この番組。彼らが日本でどんな夢を叶えるのか!?
お楽しみください!

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「世界!ニッポン行きたい人応援団」以外にParaviで見れる動画

それではここからは、Paraviで見れる動画の一部をご紹介したいと思います。

Paraviで見れるドラマは下記になります。

・半沢直樹
・半沢直樹2
・MIU404
・この恋あたためますか※スピンオフドラマあり
・危険なビーナス※スピンオフドラマあり
・僕はどこから
・アンナチュラル
・あのコの夢を見たんです
・共演NG
・だから私はメイクする
・中学聖日記
・白夜行
・夜行観覧車
・リバース
・キワドい2人-K2-※スピンオフドラマあり
・カルテット
・家政婦のミタ
・Nのために
・逃げるは恥だが役に立つ
・きのう何食べた?
・初めて恋をした日に読む話
・レンタルなんもしない人
・凪のお暇
・陸王
・カンナさーん!
・下町ロケット
・ノーサイドゲーム
・おカネの切れ目が恋の始まり※スピンオフドラマあり
・ブラッディ・マンデイ
・ごくせん
・小さな巨人
・私の家政夫ナギサさん
・恋はつづくよどこまでも※スピンオフドラマあり
・義母と娘のブルース※スピンオフドラマあり
・テセウスの船
・大恋愛

他にもたくさんのドラマが配信されております!

更にアニメは下記の通りになります。

・鬼滅の刃
・夏目友人帳
・浦安鉄筋家族
・おそ松さん
・NARUTO
・BORUTO
・フルーツバスケット
・銀魂
・ダイの大冒険

この他にもアニメや映画、海外ドラマや韓流ドラマ、バラエティ番組などもたくさん見れます!

しかも・・・Paraviなら・・・

・スマホ
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などでも高画質・高音質でドラマやアニメ、映画などを楽しむことが出来ます!

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「世界!ニッポン行きたい人応援団」について

「世界!ニッポン行きたい人応援団」は、テレビ東京系列で放送されているバラエティ番組。

2016年(平成28年)4月14日から2020年(令和2年)3月30日までは、1時間番組としてレギュラー放送され、2020年4月以降は月1 – 2回程度の不定期放送(再度の特番化)に移行した。

レギュラー化以前には、『日曜ビッグバラエティ』枠で「世界!ニッポン行きたい人グランプリ」として、3回放送していたことがある。

日本文化に興味を持ち、自らの夢を叶えにニッポンへ行きたい外国人を、ニッポンへ招待する。

応募は、主に番組公式フェイスブックから受け付けている。また、時には番組スタッフが世界各地に出向いて、街中などで声をかけてニッポンに行きたがっている人を探したり、日本文化を紹介するイベントで特設ブースを設置して自己アピールしてもらったりして、ニッポンに行きたい人を探すこともある。

気になる人がいれば、番組スタッフが現地に直接出向いてインタビューする。インタビューの最後に、応募者にはカメラに向かってニッポンに対する熱い想いを語ってもらい、シメで日本語で「ニッポンニイキタイ(ニッポンに行きたい)!」と叫んでもらう。番組スタッフが気に入ればそのまま招待するが、ほかにも「この人ならニッポンに招待したい」という人に対し、番組ホームページや公式ツイッターなどで視聴者に投票をしてもらった上で、多くの支持を受けた人を招待することもある。また、レギュラー化前に特番として放送された「世界!ニッポン行きたい人グランプリ」で紹介されるも招待されなかった人をレギュラー後に招待したケースもある。

招待するのは基本的に依頼者1人だけだが、招待者が未成年の場合は保護者も一緒に招待したり、夫婦で招待したりと、稀に複数人を同時に招待することもある。

オープニングからVTRを放映するため、基本的にスタジオパートはない。団長・団員の3人は自己紹介はせず(画面左上にワイプで映されるのみ)、VTRを観ながらコメントするのみ。ただ、番組の最後はスタジオパートとなり、団長と団員が当日の放送分について感想を述べて終わる。

2016年4月からは、木曜20時台でレギュラー化。2017年の秋改編で、月曜20時台の『主治医が見つかる診療所』との枠交換により、当番組は2017年10月から毎週月曜20時枠での放送に変更された。

2020年の春改編により、同年3月30日でレギュラー放送としては終了。4月からの同時間帯で始まる単発特別番組枠『月曜プレミア8』内で、月1 – 2回程度の不定期放送となる。なおテレビ東京系列以外の局では『月曜プレミア8』での内容を前後半に分割し1時間にした上で事実上のレギュラー放送を続けている局もある。

2020年春以降は、新型コロナウイルス感染症の世界的流行で外国人の招待が難しい状況のため、現在は、前半パートでは過去の招待者の近況報告、そして招待者によってはその招待者を迎え入れた日本人とを直接リモートで繋いで対面させている。主にビジネスとして日本文化を地元に根付かせている過去の招待者が近況報告で出演することが多い。また、後半パートでは新企画としてニッポンのあるものが好きすぎて来日し、そのまま住むことを決意した外国人を取材する「ニッポン住んじゃった人応援団!」を放送している。

「織田信成」について

「織田信成」は、2000年代から2010年代にかけて活躍した日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。プロフィギュアスケーター。大阪府高槻市出身。最終学歴は関西大学大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修博士前期課程修了。学位は修士 (文学)。関西大学アイススケート部前監督。兄はベーシストの織田信治。

主な成績に2010年バンクーバーオリンピック7位、2006年四大陸選手権優勝、2008年全日本選手権優勝、2005年世界ジュニア選手権優勝、2009年・2010年GPファイナル2位、2006年世界選手権4位など。

アマチュア引退後は、トラロックエンターテインメントに所属し、プロスケーター・スポーツ解説者・TVタレント・指導者などで活動している。2017年4月1日付で母校関西大学スケート部監督に就任した。

2019年9月9日、同日付で関西大学アイススケート部監督兼コーチを退任したことを関西大学が発表した。

大阪府高槻市出身。大阪府立阿武野高等学校卒業。卒業後は関西大学文学部英語英文学専修に進学。2010年4月2日、関西大学学長表彰を受彰した。同月22日、中学時代の同級生だった女性と婚姻届出。10月1日、第1子の男児が誕生。2011年3月19日に大学を卒業、4月から同大学大学院文学研究科修士課程に入学した。 2013年1月5日には第2子の男児が誕生。2015年3月23日に大学院を修了。2016年11月7日には第3子の男児が誕生。2019年10月、自身が出演する情報番組で 第4子の女児が誕生したことを報告した。

自称織田信長の子孫
祖父はアマチュア古代史研究家の織田重治で、織田本人が「祖父が言っていたから」と話しているレベルである。父・信義は大阪通管工業所の創業者。織田信長から数えて17代目の末裔(旗本高家の織田信高の系統)にあたると自称しているが、家系図の曽祖父の欄が空欄であり、信長に繋がる曽祖父の氏名や出自、その先代とのつながりは知られていない(実際の曽祖父の氏名や出自を知っているかは不明である)。家系図の空欄は信成自身も知っており、テレビ出演時に自らその存在について述べている。また幼少の頃からスケートの大会などで幾度と無く京都を訪れているが、関西のテレビ番組の企画で本能寺を訪れた時には本能寺の場所さえ知らなかった。

織田家の末裔と自称していることは海外でも紹介されている。デヴィッド・ウィルソンが2004-2005シーズンのフリープログラムに『座頭市』を選んだのも信長にちなんだとのこと。

テレビ番組で「戦国三武将で有名なホトトギスの歌を詠むなら」とインタビューされた際は「鳴かぬなら それでいいじゃん ホトトギス」と詠んだ。2010年1月には愛知県清須市の「清須越四百年事業」のPR役として信長も居城とした清洲城の名誉城主に就任した(任期は1年間)。

涙もろい一面
非常に涙もろく、現役時代から人目憚らず号泣するシーンが数多い。2005年10月のスケートカナダでは、7位に終わったショートプログラム後に悔し涙に暮れたが、大逆転のフリースケーティング後には嬉し涙を流し続けている。

特に2005年12月のNHK杯では、初優勝が決まった瞬間にキス・アンド・クライでは大声をあげながら大号泣、母親コーチの織田憲子が笑いながらそれを宥める姿が全国に大きく放映され、織田を一躍有名にした。

他にも、2013年12月の全日本フィギュアスケート選手権で鈴木明子が28歳の最高齢で同大会初優勝を果たした時を初め、翌2014年2月開催のソチオリンピックで良きライバルだった髙橋大輔に中継で声を掛けた際、さらに浅田真央がほぼノーミスのフリーを滑りきった時や2017年4月に浅田の現役引退表明にコメントを求められた際、そして2018年2月の平昌オリンピックで羽生結弦が五輪2大会連続金メダル・宇野昌磨も銀メダル獲得のワンツーフィニッシュ達成時など、思わず泣き出す場面がテレビでそれぞれ放送されている。

その「泣き虫キャラ」がすっかり定着した織田は、2014年4月にフジテレビ系列「アウト×デラックス春の面会スペシャル」の放映出演時に、織田自ら「僕よく皆さんに『いい人ですね』って言われるけど、ただよく泣くだけ。全然良い人じゃない」などと泣きながら困惑。当番組の司会・矢部浩之が「もう泣き止みなさい」と親のように声を掛けると、織田は「だから僕は表舞台から消えたいんです…例えコーチをしても大会には帯同しない」と、裏方に廻りたいと打ち明ける。その言葉に対してマツコ・デラックスが「ダメよ、あなたは表舞台に出る人なの!」と説得すると、織田は「そう言って頂けるのが凄い嬉しくて…もう本当に生きてるだけで十分なので」と余計に涙が止まらなくなっていた。

技術・演技
勝負強く、本番で練習以上の力を出すこともしばしばあった。他方、規定に反してザヤックルール違反やコンビネーションを跳び過ぎて、高難度ジャンプの得点が無効になってしまうことが、過去に公式試合で9回もあった。そのため、織田が出場していない大会の、外国のTV中継中においてすら「ザヤックルール違反と言えば日本のOda」と話題にされた。日本のフィギュアファンの間では他選手であってもザヤックルール違反を俗に「オダる」と呼ばれることもある。

身体の柔軟性が高く、またスピンはバリエーションが豊富である。演技の流れの中で跳ぶジャンプは評価が高く、膝と足首を柔らかく使った着氷も美しいとされていた。3回転アクセルは2005年世界ジュニア選手権の公式練習で初めて成功した。

経歴
母の織田憲子が元スケート選手で、兄や姉もスケートをしていたため、自然な流れで7歳からスケートを始めた。しかし、小学生の頃はスケートを続けているとお金がかかって親に負担がかかってしまう為、スケートを止めたいと思っていた。
1998-1999シーズン、全日本ノービス選手権8位。1999-2000シーズン、全日本ジュニア選手権27位。2001-2002シーズンは左腕を骨折したため競技会に出場しなかった。

2004-2005シーズン、城田憲子の紹介でカナダのリー・バーケルのもとへ渡る。初めのうちは英語も分からず苦しんだが、ジェフリー・バトルらとの練習を通じて成長した。世界ジュニア選手権で優勝。同大会男子シングルで日本人が優勝したのは、2002年大会の髙橋大輔以来2人目。女子シングルの浅田真央とともに日本勢のアベック優勝となった。

シニアデビュー以降
2005-2006シーズンから本格的にシニア参戦。グランプリシリーズスケートカナダで3位、NHK杯では初優勝を果たし、本田武史、髙橋大輔に続く日本人男子3人目のグランプリシリーズ優勝者となった。トリノオリンピック代表がかかった全日本選手権では、初め優勝と発表されたものの、採点ミスが明らかになり2位に訂正される(詳細は第74回全日本選手権を参照)。この結果、代表選考ポイントでも僅差の2位となり、トリノオリンピック出場を逃した。年が明けてからは四大陸選手権を制し(同大会での日本人男子シングルの優勝者は本田武史以来2人目)、世界選手権でも4位入賞。日本男子シングル出場枠を1から2に増やした。また練習面で、体力面で他の選手に劣るという指摘を受け、松本整の下で筋力トレーニングに取り組み始めた。

2006-2007シーズン、スケートアメリカで優勝し、NHK杯では髙橋大輔に次いで2位。2年連続で進んだグランプリファイナルでは銅メダルを獲得した。世界選手権ではSPで14位と出遅れたが、プログラムを『ミッション:インポッシブル』に変えて臨んだFSでは冒頭の3回転アクセル-3回転トゥループ-3回転ループから次々にジャンプを成功させて追い上げ、総合7位に入った。同時に、髙橋大輔が2位になったため、2人の順位合計により、翌2008年大会の日本男子シングル出場枠は最大の3枠となった。2007年1月に開催された第62回冬季国体群馬大会スケート競技に出場し、SP・FS共に1位で優勝。

2007年3月の誕生日で20歳になったが、同年7月27日の未明、大阪府高槻市内でミニバイクの酒気帯び運転により警察に摘発された。織田は「前日に大阪市内で関西大学アイススケート部の顧問(同大学の学生センター長)などと酒を飲みながら競技活動と学業の両立を相談した後に、『(自宅のある高槻方面への)電車で寝過ごして時間も経っていたので、酔いもさめた』という自己判断でミニバイクを運転していた」とコメントしている。この摘発を受け、日本スケート連盟は、織田の大会への出場停止(国際大会5ヶ月、国内大会3ヶ月)と特別強化指定選手5ヶ月間解除の処分を通達し、スケートカナダやエリック・ボンパール杯への派遣を中止した。復帰戦として注目された11月の西日本選手権は、「調整の遅れ」を理由に欠場。代わって12月の全日本選手権での復帰を予定していたが、開催直前に「過度の精神的重圧」などの理由で欠場した。これらにより、四大陸選手権・世界選手権の出場権利を得られず、年明けの各アイスショーにも参加しなかった。

2008年4月、ニコライ・モロゾフのコーチ就任を発表。アイスショーにも復帰した。2008-2009シーズンが始まると、ネーベルホルン杯、カールシェーファーメモリアルと立て続けに優勝。国内でも西日本選手権を制し、グランプリシリーズ復帰戦となるNHK杯でも優勝。全日本選手権でも優勝した。世界選手権では、SPでフェンスに激突し、FSでジャンプの回数規定違反を犯しながらも、初めて4回転トゥループ-3回転トゥループのコンビネーションジャンプを成功させ総合7位になった。同大会で6位だった小塚崇彦との順位合計が13となり、翌2010年バンクーバーオリンピックの出場枠「3」を辛うじて確保した。

バンクーバー五輪出場・7位入賞
2009-2010シーズン、エリック・ボンパール杯、中国杯とグランプリシリーズで連勝。グランプリファイナルでは2位と好成績を残しオリンピック日本代表に内定した。バンクーバーオリンピックでは、SPでは4位と好発進だったが、FSで後半靴紐が切れたことによる演技の一時中断と、転倒による計3点の減点が響いて7位入賞に留まった(髙橋大輔が3位入賞・銅メダル獲得、小塚崇彦は8位入賞)。世界選手権ではSPですべてのジャンプに失敗し28位となり、FSに進めなかった。

2010-2011シーズン、スケートカナダ、スケートアメリカともに2位に終わる。グランプリファイナルではSPでは初めて4回転トゥループ-3回転トゥループのコンビネーションジャンプに成功し1位となったが、FSでは2度のジャンプの転倒があり3位。総合では2位となった。世界選手権ではSPで2位につけながらも、FSでまたもジャンプの回数違反を犯し、総合6位に終わった。

2011-2012シーズン、かねてからの左膝蓋骨靱帯炎の治療と、膝以外の使える筋肉を使ってのトレーニングを続けながら挑んだグランプリシリーズ初戦の中国杯では2位に入ったが、第2戦のエリック・ボンパール杯では7位と沈み、3年連続グランプリファイナル進出はならなかった。全日本選手権は左膝の故障のため欠場。

2012-2013シーズン、左膝の治療とトレーニングがほぼ完了。挑んだグランプリシリーズはスケートカナダ3位、ロステレコム杯5位となり、GPファイナル進出は叶わなかった。世界選手権代表をかけた全日本選手権では、SPでは転倒があり5位。FSでは4回転を決めたが、3回転アクセルの1度目で手をつき、2度目に転倒。総合で4位となり、世界選手権出場を逃した。2013年1月の第68回冬季国体(東京)に出場し、SP・FS共に1位で国体2度目の優勝。

2013-2014シーズン、ネーベルホルン杯ではSP、FSともに4回転ジャンプに成功。FSと合計スコアの自己ベストを更新し、2位に大差をつけ圧勝。スケートカナダでは、SPは2位発進するも、FSではジャンプのミスが響き、総合3位。NHK杯はSPは3位、FSは健闘し総合2位となった。GPシリーズ総合ポイントランキングは7位だったが、髙橋大輔が怪我により欠場したため繰り上げとなり、3シーズンぶりのグランプリファイナル進出が決定した。グランプリファイナルではSP、FS共に3位で、総合3位に入った。ソチオリンピック出場を懸けて臨んだ全日本選手権ではSP冒頭の4回転が3回転になるなどし、5位とやや出遅れた。FSではほぼノーミスの演技を行い3位と健闘したが総合4位に終わり、2大会連続のオリンピック出場は逃した。

現役引退後
2013年全日本選手権の終了直後、日本スケート連盟は2014年四大陸フィギュアスケート選手権(中華民国の旗 中華民国)の日本代表選手の一人として織田を選出した。しかし「(織田自身のコメントに拠れば)これからは若い選手に頑張って欲しい」という意向から、四大陸選手権の出場権を辞退(代替選出の選手は無良崇人。結果は優勝)。全日本選手権のエキシビション(12月24日)で演技を終えた直後、織田選手自身がリンク上からマイクを通じて、現役を退くことを発表した。その後に開かれた引退会見では、「鳴かぬなら 泣きに泣きます ホトトギス」という自作の句を披露した。

現役を引退した直後のソチオリンピックの開催期間中、『FNNスーパーニュースアンカー』(関西テレビが平日の夕方に放送中のローカルワイドニュース番組)で自身初の「スポーツコメンテーター」を担当。その後もスポーツ関連番組やバラエティ番組のゲストとして、自身現役時代の体験談や、ライバル・新旧の日本代表選手に関するエピソードを語る機会が多い。 2014-2015年シーズンの開幕以降は、スケート大会の実況解説者として活躍が増えている。

またアイスショーやレギュラー番組など出演の傍らで、メダルウィナーズオープン・フィギュアスケートジャパンオープンのプロアマ混合大会に出場。ジャパンオープン2016においては、4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションを成功させ、非公認ながら現役時代のパーソナルベストを超える178.72点の得点を出した。

ジャパンオープン2018においても、4回転トウループ-3回転トウループ、更に3回転アクセル-1オイラー-3回転サルコウの難しいコンビネーションジャンプを決め、新ルールによりジャンプの回数が1回減っているにも関わらず、現役時代のパーソナルベストを超える176.95点の得点を出した。

2017年4月11日、関西大学梅田キャンパスにて関西大学アイススケート部監督就任会見を行った。

2019年9月9日、「多忙が理由」との理由で大学側より関西大学スケート部監督の退任が発表された。

2021年10月1日、YouTubeチャンネル「織田信成の“滑るけどスベらない”チャンネル」を開設。初回に配信された動画では、2013-2014シーズンの浅田真央のFSに自ら挑戦した。

損害賠償請求訴訟
2019年9月に関西大学スケート部監督を退任したことについて、織田は同月29日の公式ブログで「リンク内で私に対して嫌がらせやモラハラ行為があり、その影響で今年春頃から体調を崩すようになった」と「多忙」による辞任を否定し、10月14日の公式ブログでは織田側から見た経緯を説明した。しかしモラハラを行ったとされる濱田美栄コーチは週刊文春の取材に対し「いやいや、元々彼はリンクにいませんよ。今年からではなく初めから。解説者もやってタレントもやって、片手間で監督やるのは大変やと思います」と反論しており、当事者同士の言い分は真っ向から対立するかたちとなっている。

11月18日、織田はハラスメントを行っていたとされるコーチの濱田に対し1100万円の損害賠償請求訴訟を求めて大阪地裁に提訴、大阪司法記者クラブで代理人弁護士同席のもと泣きながら記者会見を行った。訴状によると、濱田の無視・陰口などの嫌がらせにより精神的な苦痛を受け、40度を超える発熱や筋肉の震えなどで3月26日~4月2日にかけて大阪・高槻市内の病院に入院、以降も恐怖や不安から身体の変調が続いていると主張している。会見の席上では、弁護士が濱田に対する提訴のほか大学に対しても織田に対する救済措置を講じるよう求めたことを明かした。

19-20シーズン中の提訴となったことについては「シーズン前に解決したかった。シーズン中にこういうことになってしまったのは残念」と話している。

関西大学は織田の提訴に対し「アイススケート競技がシーズンに入り、多くの選手が練習に懸命に取り組んでいる時期に提訴がなされたことは大変残念」とするコメントを発表した。また12月10日には、同月6日に行われた選手の保護者説明会での要望があったとして、織田からの7月1日時点での申し出に対する調査結果を発表した。10月から11月にかけて織田側に調査結果を通知しており、織田の要求については「妥当ではない」と結論付けている。

12月に行われた1回目の口頭弁論では、濱田側が織田の訴えは事実ではないとして請求の棄却を求めた。翌2020年2月に行われた2回目の口頭弁論で、濱田側はこの訴訟が名誉を傷つける不法行為であると織田を反訴。モラハラの事実が無いにも関わらず、織田が提訴し、記者会見を行ったことでメディアに大きく取り上げられ、濱田は精神的苦痛を受けており、330万円の損害賠償を求めた。3回目は4月予定が新型コロナウイルス感染症の流行の影響で8月6日に行われた。織田側は反訴状の訴えに対し「事実であるのだから名誉棄損では無い」として、証拠として濱田が選手や指導者に対し暴力や暴言を日常的に行っていることを指摘した。濱田側は「過激な言葉を使ったことはあるけれど、侮辱的ではなく、あくまでも指導の範囲内」であるとしている。

2021年3月2日、2月末の第7回弁論準備手続きで双方が相手に求める和解案を提示することが確認され、裁判は和解に向かっていることが報じられた。

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