テレビ朝日で放送されているクイズバラエティ番組「爆笑問題の検索ちゃん2022」芸人ちゃんネタ祭りの無料動画や見逃し配信などの無料視聴方法、再放送について紹介したいと思います。
気になる番組は何回も見たいし、TVer(ティーバー)やGYAO!(ギャオ)、加入者の多いHulu(フールー)やNetflix(ネットフリックス)など、どういったサービスで観れるんだろう?って気になりますよね?
この「爆笑問題の検索ちゃん」の動画配信なのですが、今のところどこの動画配信サービスでも配信されておりません・・・。
しかし、テレビ朝日が放送しているということもあり、今後「爆笑問題の検索ちゃん」の見逃し配信や動画配信が行われるとしたら、それは動画配信サービスTELASAになると思われます。
目次
「爆笑問題の検索ちゃん」以外にTELASAテラサで見れる動画
それではここからは、TELASAテラサ見れる動画の一部をご紹介したいと思います。
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・G線上のあなたと私
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※「爆笑問題の検索ちゃん」は現在TELASAテラサでは配信されておりません。
「爆笑問題の検索ちゃん2022」芸人ちゃんネタ祭り
豪華芸人集結!ネタの祭典!
爆笑問題、オードリー、ハライチ、ナイツ、友近、錦鯉、ロッチ、ビスケットブラザーズ、トム・ブラウンら人気芸人の最強コント&漫才!
「爆笑問題の検索ちゃん 芸人ちゃんネタ祭り 実力派芸人大集合SP」
年末恒例のネタ祭り!実力派芸人10組による本気のコント・漫才をたっぷりの尺で贅沢にお見せしちゃいます!!
「爆笑問題の検索ちゃん」の出演者
【MC】爆笑問題、小池栄子
【出演者】東貴博、オードリー、古坂大魔王、土田晃之、トム・ブラウン、友近、ナイツ、錦鯉、ハライチ、ビスケットブラザーズ、ロッチ (50音順)
※「爆笑問題の検索ちゃん」は現在TELASAテラサでは配信されておりません。
「爆笑問題の検索ちゃん」について
「爆笑問題の検索ちゃん」は、テレビ朝日で2005年10月8日から2009年9月26日まで毎週土曜日未明(金曜日深夜)に放送されていたトークショーを兼ねたクイズ番組で、爆笑問題(田中裕二・太田光)の冠番組でもある。現在は不定期に復活特番として、ネタ祭りのタイトルで放送されている。略称は「検索ちゃん」。
「深夜の雑学クイズ」がテーマである。インターネットの検索によって得られたウェブサイト(Web)上の情報からクイズを出題する。ウィキペディア日本語版や2ちゃんねるをソースに出題されることも多々ある。
また、クイズと並んで出演者のトークもメインの内容となっている。クイズの内容から発展した出演者達のトークから、彼らや他の芸人達の意外なエピソードが聞かれることもある。
2006年1月には、深夜の30分番組としては異例の2時間スペシャルを放送。以降も数度ゴールデンでの特番を放映(後述)、ゴールデンタイム昇格を狙うも視聴率は伸びず。2007年5月以降、クイズとトークの『検索ちゃん』と、雑学クイズを主体とする『芸能界雑学王No.1決定戦』(特番期に3時間)・『今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王』(2007年10月から12月まで水曜23:15からの「ネオバラエティ」枠で放送され、2008年1月からは水曜20:00枠にてレギュラー放送開始)で棲み分けを行っている。当番組終了後、2010年4月からネオバラエティに戻った雑学王は、同年10月以降、出演者を全員芸人にした上でトークの比重を高め、事実上、当番組の企画を継承した。雑学王の後番組『ストライクTV』は司会が爆笑問題ということ以外全く異なる内容となったが、2012年4月のリニューアル以降は当番組のスタイルに踏襲するようになり、2012年10月15日には『ストライクTV 特別編』として、同枠で『検索ちゃん』そのものが復活している。
放送時間は30分だが、太田光がボケ続けたり、エピソードを語りすぎるため、1回分の収録に2時間以上かかっている。3本撮りであるため、1度の収録時間は7時間以上に及び、田中裕二は「業界で一番長い収録」と語っている。番組プロデューサーによると「太田さんは収録を出来るだけ時間内に収めようとしている。だからテープチェンジをするときに太田さんの落ち込み方が凄い」とのこと。そのため、放映時間内に収まらない内容も多く、「未公開放送SP」が放映されることがある。
安定した人気を保っていたが、テレビ朝日が2009年秋の番組改編にともない『タモリ倶楽部』など一部の番組を除いて深夜バラエティをすべて終了させることになったため2009年9月26日放送(2009年8月26日収録)の『検索ちゃん最終回スペシャル』をもって、4年の歴史に幕を降ろした。
上記のように人気であったにも関わらず終了した事について出演者は収録時間が長いことにかけて「一度の収録で使うテープが多すぎて予算が無くなった。」「タイタン以外の事務所から拘束時間が長すぎると怒られた。」「テレビ朝日の働き方改革に引っかかった。」等、収録時間が長かったから終了したという趣旨のネタにしている。
レギュラー放送終了後、芸人ちゃんネタ祭りとして概ね毎年12月第4金曜日に放送が行われている。
また2017年5月5日、サイバーエージェントとテレビ朝日が運営しているインターネットテレビ局「AbemaTV」開局1周年記念特別企画として同局のAbemaSPECIAL2チャンネルにて「爆笑問題の検索ちゃんぴおん」として一夜限りの配信が行われた。
レギュラー放送でのルール(クイズの流れ)
番組の用意した6つの“検索キーワード”の中から解答者が1つ選ぶ。そのキーワードをYahoo! JAPANで検索し、見つかったホームページ(webページ)の中からの情報を問題として出題する。
2006年2月4日分から、「ネットカキコミ」というキーワードが登場。これを選ぶと、ネット上に書き込まれた、その回の解答者の中の誰かの恥ずかしいエピソードから出題される。大抵は河本が合コンの話題、庄司がナンパの話題である。
解答は筆記式である。
5問終わって、最多正解者が優勝(検索ちゃんぴおん)となる。最多正解者が複数居る場合は、司会の太田光の独断で優勝者が決められる。この場合、田中裕二は優勝者から外されることが殆どである。難しい問題を答えた人やトークが面白かった人、滅多に正解しない人(庄司や井上など)が選ばれる事が多い。
夕方に放送される地域のことを考慮して、検索キーワードが下ネタなどであっても、VTRやクイズ内容は過激になりすぎないように作られている。
番組進行・形式
番組の途中で話題になったキーワードは下や上の別画面で検索され、検索された件数が表示される。
解答の発表は、太田の指示によって開かれていく。
解答者の答えが表示される画面には、解答が開かれるまで「検索ちゃん」というロゴが表示されている。たまに太田が「田中さんの解答には『検索ちゃん』と書かれていますが…」等とボケることがある。
何人かの解答が同じになった時は、太田がもったいぶった言い方で「残りの解答を開きます!」と言う。
太田が応援席にいる芸人に「あのカンペを見てください。」と振ったときは、太田と応援席の芸人たちが、「何ナニ?残りの回答を、全部、オープン!?」と、やたら大袈裟に読み上げ、読んだ全員で色々なポーズをキメる。この時、爆笑田中は「そんなにもったいぶる意味がわからない」などとツッコミを入れていた。しかし、この部分が必ずO.Aされることから解答者、小池、田中も参加することがある。この集団は演技も安っぽい事から「貧乏劇団」と呼ばれる。
実際、小池以外の出演者全員が参加した事があったが、それに対して小池は「撤収!!!」。
しばらく行われなかったが、2006年11月3日の放送で半年振りに復活。やり方をすっかり忘れていた太田のおかげでグダグダだった。
番組の最後は、爆笑問題の2人が椅子に座って内容を振り返るトークコーナーがある。
司会者(爆笑問題太田・小池)関連
太田は田中の人間性や昔の出来事を赤裸々に語る事が多い。
過去には「ウーチャカ大放送が気持ち悪い」や「昔、田中が女性スタッフをホテルに誘っているところを目撃した」、「打ち合わせの店でスイーツを全部頼んだ」、「大学時代に初めて会った時、『俺の事をウーチャカと呼べ』といきなり言われ恐かった」等を語っている。しかしある放送で小池の胸をチラッと見たため「乳チャカ」、「田中乳二」と呼ばれたこともあった。
が、他の番組で話した内容であることが殆どで、出演者(特に土田)に窘められることも。
番組中、松田優作の話題で盛り上がったため、太田が「番組名を『優作ちゃん』にしましょう。」と提案したことがあるが、田中にあっさり却下された。
太田があまりにも暴走したトークをするので品川に「R-1に出て!」と言われたこともある。
小池は太田に毎回と言っていい程「大奥〜華の乱〜」(フジテレビ系)出演をいじられその際のボケは必ず「小池さんはバカ殿役で大奥に出演してました」である。毎回ボケが同じであるため小池から「少しはひねって下さい」と駄目だしされる。また小池が女優で活躍している事に対して「胸だけで成り上がった奴が女優気取りして」といじり小池から「はいはい、胸だけでやってきましたよー」と大人な対応をされ立ち位置に戻された。
小池は大勢の芸人が居る中紅一点で出演する場合が多く、下ネタが出てそれをふられた際には、無視する訳でもなく芸人達(主に太田)を軽くあしらう場合が多い。
素っ裸でオシッコをする時に両手をどうすればいいか悩む話題で太田が小池に「小池さんはどうしますか?」と聞くと小池は「はい、私はこうしまーす」と言って両手を上げてそそくさと次の問題へいった。
番組に小池の母、祖母が観覧しに来たことがある。
「小池が一番恋人にしたくないのは誰か?」という質問を河本から言われた小池は東を選択。これ以降、東はひねくれてしまう(小池曰く、「東さんとエスパー伊東さんだったらエスパーさん」とのこと)。
2012年10月15日の約3年ぶりの復活放送の際、小池は3年間女優業に仕事をシフトしていた(本人曰く「演技で物凄く頑張ってきた」)事を指摘され、品川に「何で唯一のバラエティーの仕事がこれなの!?」と言われた。また小池によると、この放送の収録の前後のスケジュールが「これの前が渡辺謙さんとの仕事、これの後は吉永小百合さんとの仕事」だったと言う。
レギュラー・準レギュラー関連
土田曰く、「太田さんのリハビリのための番組」。
土田は太田にツッコミを入れることが多い。「小池と太田は司会が下手だ」、「いい加減にしろ」などと言う。
また、土田は太田のあしらい方が上手い。実際、暴走した太田を「はいはい、太田さんの言う通り」などと言って、太田を黙らせた。
いつもかなりキツイ事を言って太田の話を止めるが、実は太田自身は大して堪えておらず、「土田はいつも僕を傷つけずに番組をスムーズにしてくれる」と言われた時に思わず「あれで傷つかねえの!?もうお前、死ねや!!」とキレた事がある。
オープニングでメンバー全員がドンちゃん騒ぎをし(通称、「オープニング祭り」)、小池栄子を毎回怒らせることから太田が「この番組のサブタイトルは女王の教室なんです」と言った。
ただし、土田は騒ぎに参加せずに黙って座っていることが多いため、小池は「土田さんはやる気ないのかな?」と思っていたという。後日アメトークに出演した際、土田はこのことを「みんなが騒いでるところに行っても目立たないから」と、計算した上での行動だと告白した。
伊集院光はどのクイズ番組でも正解率が高く、検索ちゃんでも同様なので品川が「頭いいなー、伊集院さん」と言い、伊集院は「どのクイズ番組でも品川から頭がいいと言われどういう反応をしていいのかわからない」と言ったことがある。伊集院は、2007年4月27日の放送で番組初の5問正解パーフェクトを達成している。
太田は解答者を独自のあだ名で呼ぶ(あまりに適当すぎて毎回微妙に変わる)。
河本→(我らが巨匠)河本大先生
井上→イケメン代表(イケメン大魔王・イケメン大魔神・イケメン大王)
品川→Mr.検索ちゃん
庄司→かわい子ちゃん
土田→我が愛しのお兄ちゃん(お兄ちゃま)
ジュニア→少年の心を持ったままの子供
他のゲストもボケて呼ぶ事もある(例:東に対して「深沢!」など)。
井上と庄司をまとめて呼ぶ場合は「イケメンブラザーズ」と呼ぶ
次長課長の出演時に、太田が河本の持ちネタである「お前に食わせるタンメンはねぇ!」というフレーズを使うことが多い。その度に河本は「止めてくださいよ!」と主張している。
河本は過去、品川とオリエンタルラジオ藤森の解答をカンニングし正解を取り消されたことがある。その際伊集院に、「いろんなポジションがあるけれど、これまでクイズ番組に『カンニング』というポジションはなかった」と言わしめた。
井上と庄司はナイチンゲールの名前だけは知っていたが、どんな事をした人かは太田が教えてくれるまで本当に知らなかった。
庄司が噛んで友近を「トミー」と呼んでしまったため、友近のニックネームが「トミー」になりかけたことがある。
検索ワードのクイズの回答を考えているとき、庄司は何かひらめきとても喜びながら書いたが、実は他の回答者と同じ事を書いた。
バカ決定戦のメンバーの中で正解率がトップの庄司と2位の友近は検索ワードの問題では1個しか正解できず(陣内は3問正解(この放送まで、陣内は一つも正解できなかった)、田中卓は4問正解、井上は2問正解)サドンデスで漢字テストを行なったがすぐには決まらなかった(庄司にいたってはもはや字ではない解答も出た)。
井上と陣内は、モンブランは酸っぱいか・塩辛いかという話に、番組そっちのけでのめり込んでいた。
矢作が「はずす」と書くべきところを「はずつ」と書いてしまい、出演者から突っ込みを受けた。
庄司が本番中に「すぐ寝られるコツがある」と言って、本当に寝てしまったことがあった。
番組内で「好きなフルーツは?」という話題になったとき、井上は「ユッケ」、庄司は「チャンジャ」と言った。
番組内で「揚げプリン」が運ばれてきた時、井上が「これ何味!?」と隣にいた品川に聞く。
ゲスト解答者のワッキーに関するネットカキコミが出題された(初めて仕事をする女性スタッフが自分に気があるか探るためやっている姑息な行動とは?-正解は「わざと足を踏む」)際、土田はその出題に対する解答をボイコットした。
ゲスト解答者関連
ペナルティが出演したときに、オープニング祭りで「お化けの救急車」をした。しかし、太田だけはノリだけで格好はばらばらだった。太田とペナルティ以外にしたのは品川庄司の2人だけだった。
オリエンタルラジオが出演した際に、太田が、彼らが芸人になったきっかけを聞いた。そこで、オリラジ中田が「爆笑問題のラジオ(爆笑問題カーボーイ)にハガキを投稿して採用されたことがある」と答え、爆笑問題田中は「嬉しい」と応えた。
しかし、爆笑問題カーボーイの前日に同じ時間帯で同じTBSラジオで放送している伊集院光のラジオ(伊集院光 深夜の馬鹿力)は聞いてなかったらしく、ご立腹の伊集院はマジックペンでタバコを吸う真似をしていた。
一度だけ、伊集院が入る予定だったが伊集院が体調不良で休み、急遽飯尾和樹が出演したことがあった。収録日の飯尾のスケジュールは草野球が1つ入っていただけだったとか。
麒麟が出演した時に、キーワードに「キリンの秘密」というキーワードがあり、川島はそれを選んだが、実際は動物のキリンの話だった。その後、井上がネットカキコミを選択したが、この日のネットカキコミは小池のもので、打ち合わせのときは麒麟だと言われており、一種のドッキリをしたことになるが、品川は「ネットカキコミでもいじられず、キリンの秘密は動物のキリンで、麒麟の二人がかわいそう」と言った。
堀内健が出演した時、映画「ダイ・ハード」に関する問題が出た際に堀内は解答に「ハ」とだけ書いてあった。何故なのか聞くと、ネプリーグの「ファイブ・リーグ」で解答したと(田中裕が「ダ」、土田が「イ」、友近が「ー」、河本が「ド」と書くのをイメージして)発言した。
バカ3人組&陣内の珍解答
この番組の面白さの一つに「珍解答」がある。特に庄司智春、井上聡、小木博明の3人は珍解答を連発しているため、通称「バカ3人組」と呼ばれている。また、陣内智則も珍解答が多い。 しかし、珍解答も「検索ちゃん」の人気の一つとなっている。バカ3人組または3人組の内1-2人か陣内が同じ解答席にいると珍解答が連続で出て、応援席からツッコまれる可能性が高い。小池はあまりのバカっぷりに呆れを通り越して、子を見守るような温かい視線を向けている。
ただ、この3人組+陣内の間には独特に通ずるものがあるらしく、他のメンバーが唖然とするようなコメントでも「俺、言ってること何となくわかるよ」と意気投合することがしばしばある。
庄司・井上の衝撃的な解答が開けられ会場が騒然とする中、小木は「なるほどね」と頷き納得している。その後とどめに小木の珍解答が開けられると、庄司・井上は「来たコレ!」「俺生きてるよ!」と水を得たように活き活きとする。
これほど見事な天然っぷりを披露しながらも、検索ちゃんぴおんの決定は太田の独断であるため、小木以外の3人は、検索ちゃんぴおんになったことがある。
「爆笑問題」について
「爆笑問題」は、タイタンに所属する太田光と田中裕二からなる日本のお笑いコンビ、司会者。略称は爆問、爆笑(さん)など。
日本大学芸術学部(日芸)演劇学科の在学中に出会い、中退後の1988年3月にコンビを結成。
コンビ結成以前、1984年に演劇ユニット『クレイジードッグス』というユニットに2人で参加していた時期があった。後にユニットは解散したため、爆笑問題を結成することになる。
暦年の年齢は同じだが田中の方が早生まれであるため、1学年上となっている。太田は大東文化大学第一高等学校から現役で、田中は東京都立井草高等学校から一浪で日芸の演劇学科に合格して同期生となる。
渡辺正行主催のラ・ママ新人コント大会でデビュー、その場で太田プロにスカウトされる。1988年7月12日放送のフジテレビの深夜番組『笑いの殿堂』でテレビデビュー。以降順調にレギュラーを増やし、若手芸人のホープとなる。ショートコント全盛の時代に、「進路指導室」「東京の不動産屋」などの作り込まれたコントで注目を集めるが、次第に漫才を主体とするようになる。太田の毒に満ちたボケと田中のストレートなツッコミという正統的漫才で人気を集めた。
1990年に太田プロから独立し「スパイシーフルーツ」へ所属。理由はスカウトした人物に唆されたのと、自らがやりたい仕事をやりたかったことが挙げられている。しかしこの独立は一方的に辞める形だったため太田プロの怒りを買い、一時的に仕事がなくなりテレビからも姿を消す。
このことで、「ブレイク前に将門の首塚にドロップキックをしたことがあり、そのせいでしばらくの間まったく仕事が来なかった」という噂を生んだ。ただし、所属事務所の社長で太田の妻・太田光代は「テレビ番組の企画で、太田が首塚に失礼なこと」をした事実は認めているが、伝説との関係は否定している。当時のことについては「自分たちが全面的に悪かった」「面白ければ仕事がなくなることはないだろうと思っていた」と語っている。
またこの時期、田中は主にコンビニエンスストア(ミニストップ)のアルバイトで、太田は妻の太田光代のアルバイトやパチンコ・パチスロでの稼ぎで生計を立てていた。
太田は暗算が非常に苦手で、レジのバイトをすると客から苦情を言われないようにと釣銭を多く渡すなどまともにアルバイトせず、借金取りから逃げるために居留守を使う目的で家に引き篭りファミコン漬けの日々だった。また、田中が売れ残ったコンビニ弁当を届ける際にも顔を出さなかった。
一方の田中は実家に住んでいたため生活に困る事はなく、アルバイトの方も「このまま社員にならないか」と声をかけられるほどの仕事ぶりであった。しかし、3年間全く仕事がなかったわけではなく、テレビは事務所の力関係のないNHKとテレビ東京の番組への出演が中心となり、俳優業なども行いオムニバスドラマ番組『悪いこと』では脚本(太田)・出演(太田、田中)、オムニバス映画『バカヤロー!4』(森田芳光プロデュース)の中の1本では監督(太田)を務めた。また、お笑い活動では営業として数多くの予餞会でネタを披露した。自称「日本一予餞会に出た芸人」。
1993年に自らの芸能事務所「タイタン」を設立。社長には元芸人で太田の妻の太田光代が就き、同年NHK新人演芸大賞を受賞。1994年には、『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日系)で10週勝ち抜き初代チャンピオンになり再ブレイクのきっかけを果たした。『タモリのSuperボキャブラ天国』(フジテレビ系)の「ボキャブラ発表会 ザ・ヒットパレード」に出演。この番組でネプチューン、海砂利水魚をはじめとする当時キャブラーと呼ばれた若手芸人たちの出世頭となり、再ブレイクのきっかけをつかむ。『黄金ボキャブラ天国』では初代名人に。当時のキャッチフレーズは「不発の核弾頭」。
普段のネタは太田が書いているが、『ボキャブラ』のネタは田中がほとんど書いていた。そもそも田中が作っていたのはダジャレの部分だけで、そのダジャレを際立たせるコント部分は太田が作っていた。
2008年、コンビ結成20周年。2月発売の『Quick Japan』76号(太田出版)に吉田豪によるロングインタビューが掲載。また、テレビ朝日系で同年6月25日・26日に「爆笑問題結成20周年記念 2夜連続特別企画」として、『今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王』および『爆笑問題の検索ちゃん』の2時間特番が放送された。
2018年、コンビ結成30周年。それを記念して8月30日・31日・9月1日の3日間開催された単独ライブ『O2-T1』では漫才を一切行わず太田の脚本によるストーリー性のある5つのコントのみで構成。「病院の待合室」「数字男」「二人の兵士」「医者と患者」「爆チュー問題」が披露され、それぞれ別個のコントでありながら一つ一つがストーリーとして繋がっていくスタイルを採用した。
「爆笑問題」のエピソード
2人の出会いは日本大学芸術学部の試験会場であり、試験会場で試験官を茶化していた太田を見た田中は「関わり合いになりたくない」と思っていた(とはいえ田中は、どうせ合格出来ないだろうと思い、試験当日は直前まで草野球をしていたため、野球のユニフォームを着て受験に臨んでいた)。入学後、大学のトイレで再会し、「こいつも合格していたのか」と思い太田に話しかけた所、太田は受験会場の様子とは全く違い、律儀な受け答えをしていた。また、太田が入学後の最初の授業でも騒ぎ、他の生徒達を盛り上げたが、田中はその雰囲気に乗らなかった。
日本大学芸術学部時代の取得単位は、2人合わせて17単位だった。しかも太田は2単位しかとっておらず、そのうち1つはスキー合宿の参加者全員にもらえる単位だった。太田は後に、日芸の教授を「俳優になろうとしてなれなかった奴らの溜まり場。俳優を育てようなんてなんも思っちゃいない」と批判しては、講義を欠席していた。
元マネージャーは2人の同級生で、18歳の時から30年近い付き合いだった。
プライベートでは田中は太田を「光」と呼び、太田は田中を「小僧」と呼ぶ。田中が仕事のときに太田を「太田さん」と呼ぶのは仕事とプライベートの区切りをつけるためであり、太田が田中を「田中」と呼ぶのは、「小僧」では誰のことかわからないと感じているため。
また、お互いはごく近所に暮らしている(太田は「田中がこっちに引っ越してきたんだ」と冗談として言い、田中は「お前が俺の生まれ故郷(東京)にやってきたんだろ」と突っ込むやりとりをする事が多い)。
2人ともSNSなどを利用しておらず、太田に至っては携帯電話を所有していないため「やる理由がない」と述べている。
2人とも自動車の運転免許を持っていない。 田中は過去に免許取得を検討していたが光代社長の反対によって断念している。また、太田は大学時代にバイクの免許及びホンダ・VT250Zを持っていたが自損事故を起こしている。
運転免許が無いため移動の際は事務所が送迎車を用意しており、両者とも全ての仕事が終了すると自宅へ直帰する。
2人とも酒が飲めない。
2人のプライベートでの生活態度・習慣及び光代の危機管理能力が功を奏し後述の通り多くの仕事のオファーを引き受けている。
2人とも猫好きであるが、ペットのかわいがり方は異なり、可愛がり倒す田中に対して太田はほとんど構わない。そのせいで互いの猫の性格も違い、来客にまとわりつくような田中家の猫に対して、太田家の猫は来客には絶対に近寄らない。
2人は佐野元春とサザンオールスターズの話題になると、必ずどちらの方がより良いファンかと張り合っている。
「爆笑問題」の芸能活動
コンビ名の由来はラテ欄でよく使用されるフレーズ「爆笑」と、本屋でたまたま「問題実話」と言う本を目にした際、タイトルに「問題」と入れていたことが印象に残っていたことから太田が命名。また、カタカナ名のコンビが多いため目立とうとしたのも理由の一つであることが太田の自伝『カラス』(小学館)に記されている。「カラス」は一時期コンビ名を変えようと考えていた時、候補に上がっていた言葉である。前述の通り、コンビの(名目上の)リーダーは田中であるが、それを決めたのは太田である。
「進路指導室」などのような過激な内容のコントをやっていた頃は「爆笑問題は使えない、テレビじゃ危なすぎる」といった風潮が業界にあったといい、太田は当時の事を「若いからこれで世の中変えてやるみたいな、そんな意識があった」と回想している。
漫才を始めた当初は時事ネタはツカミとしてやっていた程度で、メインは「もしも○○が××だったら?」(例として「もしも、冬が寒くなってくるんじゃなくて、臭くなってくるとしたら」 「もしも夏になると痛くなるとしたら」など)といった内容のものだった。
テレビ番組(2000年代ごろより司会・MCが主)・ラジオ番組のレギュラーを多数抱えるが、タイタンの定期ライブや雑誌の連載、本の出版などもこなしている。漫才のネタは主に太田が作っている(田中はツッコミを多少考える程度で、大半の田中のツッコミは太田が考える)。現在は時事ネタを題材としたものが目立ち、硬軟幅広くネタを取り入れ、ナンセンス性と毒が入り乱れたものが中心となっている。
太田は時事ネタを扱うのは「政治を茶化したいという意識ではなく、ニュースを題材にする事が効率が良かっただけ」「そうしたことに触れないでコントを作るのが難しい」「割と安易な道」と述べている。そのため、ネタの一部分だけを切り取って評価されたり批判されたりする事には否定的な考えを示している。また、太田は2017年のインタビューで自身のDVD「2017年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』」の出来栄えを「時事ネタを話題にはしているけれど、ボクらの漫才は1個も社会風刺してないことがわかるよ」とアピールしている。
ネタの中には逮捕された人物や、世間を騒がせた人物も登場するが、その出来事から何十年と経過していることがしばしばあるため、田中から「もうそれは忘れてやれよ」と突っ込まれることも多い。ネタを使いまわすことについて太田は「噛めば噛むほど面白いし、何度噛んでも味が出る」と述べている。また、たびたび失言をする太田が漫才や雑誌の連載で他人の失言について批判したりボケたりすると、田中から「日頃から失言しているお前に言われたくない」と突っ込まれることもよくある。
〆さばやナイツのように時事ネタを得意とする芸人が同じライブや番組に出演する際は事前にネタが被らないように本人達と打ち合わせを行っている。
古舘伊知郎は太田のボケを「あたかも意味のある興味深いトークをしているようで、どこまで意味があるの?っていう思いが募った時に、完全にその意味のあるテレビサイズのトークを無意味化する。これって気持ちいいんですよ」と評している。
お笑い評論家ラリー遠田は、太田のボケには「シンプルボケ」「毒舌ボケ」「ナンセンスボケ」という3つの種類が存在すると評しており、とくに「ナンセンスボケ」については爆笑問題の漫才の隠し味になっているとし、「毒舌ボケ」よりも高く評価している。
芸能人の活動の中心がテレビとなっている中、太田は「ラジオで笑いが取れる芸人になりたい」と、漫才への思いを表している。漫才のネタ作りは田中がスクラップした新聞記事を太田が読んでボケて行き、田中はそれに対してツッコミをいれつつネタを書き留めていく手法をとる。そのことから太田は田中のことを「書記」と指した事がある。また、この作業は太田家のリビングで行われる。
ダジャレネタがメインの『ボキャ天』では、主に田中がネタを考えていた。これは太田にダジャレのセンスが全くなく、収録で太田のネタで「王貞治」を「おさだはるこ」と変えたが、意味不明なために没になったということがあった。その時のことをBOOMERが目撃している。しかしそれを際立たせるコント部分は太田が作っているため、田中は事実上ダジャレの部分しか考えていない。『水着でKISS ME』(テレビ東京)では交互に主演し、毎回ベッドシーンを演じていた。また、テレビなどの出演がほとんどなかった時代には、太田が書いた脚本を同期のホンジャマカが演じたこともあった。
1999年4月から2006年3月にかけて、『ポンキッキーズ』(フジテレビ系)に、ネズミの着ぐるみキャラクター「爆チュー問題」としてレギュラー出演し、人気を得る。2006年5月から2016年12月までは『空飛ぶ!爆チュー問題』として独立番組となり、CS放送・フジテレビワンツーネクスト(開始当時はフジテレビ721)で放送されていた。
2005年の高額納税者番付タレント部門では、2人ともベスト10に入った(太田8位、田中9位)。
お笑い芸人がトップクラスの域になると自身のレギュラー番組しか出演しなくなる傾向が強い中で、多忙になった現在でも積極的にゲスト出演をしている。また、『爆笑問題のニッポンの教養』『探検バクモン』(NHK総合)など、教養色の強い番組の出演も多い。
事務所公式サイトのプロフィール写真は、1997年ごろに撮影された宣伝用写真を使用し続けている。
ドラマや映画などには、コンビともにゲストや「チョイ役」での出演で、本人役が多かった。しかし、2000年代後半ごろより田中が映画『感染列島』やドラマ『Q10』(日本テレビ系)、『恋愛ニート〜忘れた恋のはじめ方』(TBS系)などに出演し、俳優としての仕事も増えている。
「ピン」(1人)での仕事として、田中は『サカスさん』『S☆1』(ともにTBS系)で情報番組の司会を務めている。一方、太田は『マボロシの鳥』(新潮社)などの小説やエッセイを多く執筆している。なお、「爆笑問題」名義の出版物もほとんど太田1人で執筆している。
上記のように酒を飲まない、運転免許を持っていない、太田に至っては携帯電話を持っていないものの、酒造メーカー・自動車メーカー及び中古車買取店・携帯会社は「事件・事故・トラブルを起こす事はない」と爆笑問題の姿勢を安心材料とみなし積極的に広告に起用していった。また、芸に対する真剣さやこだわりも起用の決め手となっているという。CMの内容も田中のツッコミと太田のナンセンスなボケを活かしたものが多い。
※「爆笑問題の検索ちゃん」は現在TELASAテラサでは配信されておりません。
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