日本テレビで放送されているバラエティ番組「芸能人監督グランプリ」の無料動画や見逃し配信などの無料視聴方法、再放送について紹介したいと思います。
気になる番組は何回も見たいし、TVer(ティーバー)やGYAO!(ギャオ)、加入者の多いHulu(フールー)やNetflix(ネットフリックス)など、どういったサービスで観れるんだろう?って気になりますよね?
この「芸能人監督グランプリ」の動画配信なのですが、「芸能人監督グランプリ」は現在動画配信されておりません。
ただ、日本テレビが放送しているということもあり、今後配信されるとしたら動画配信サービスHuluでの配信になると思われます。
「芸能人監督グランプリ」以外にHuluで見れる動画
それではここからは、Huluで見れる動画の一部をご紹介したいと思います。
Huluで見れるドラマは下記になります。
・未満警察ミッドナイトランナー
・極主夫道
・ギルティ
・逃げるは恥だが役に立つ
・バベル九朔
・ハケンの品格
・35歳の少女
・おっさんずラブ
・この男は人生最大の過ちです
・トリック
・中学聖日記
・白夜行
・おじさんはカワイイものがお好き。
・カルテット
・Nのために
・MOZU
・きのう何食べた?
・凪のお暇
・あなたの番です
・シロでもクロでもない世界でパンダは笑う
・親バカ青春白書
他にもたくさんのドラマが配信されております!
更にアニメは下記の通りになります。
・鬼滅の刃
・ハイキュー
・呪術廻戦
・犬夜叉
・TIGER&BUNNY
・おそ松さん
・ひぐらしのなく頃に
・NARUTO
・BORUTO
・僕のヒーローアカデミア
・銀魂
・無限の住人
・弱虫ペダル
・炎炎ノ消防隊
・Re:ゼロ
・ホイッスル!
・バケモノの子
・ピアノの森
・君に届け
・境界のRINNE
・蟲師
・進撃の巨人
・ワンパンマン
・幽遊白書
・金田一少年の事件簿
・ぼくらの
・ゆるキャン△
・涼宮ハルヒの憂鬱
・約束のネバーランド
この他にもアニメや映画、海外ドラマや韓流ドラマ、バラエティ番組などもたくさん見れます!
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※「芸能人監督グランプリ」は現在配信されておりません。
「芸能人監督グランプリ」滝沢カレンが黒柳徹子を
『#芸能人監督グランプリ』
🗓12月2日(金)夜7時
2時間SP🎉一流芸能人✨が
監督🎬となって
気になる芸能人🤩の
ドキュメンタリーを
本気で撮ったSP番組📺🎥#羽鳥慎一
❎#斎藤佑樹 https://t.co/jJ2AWCbCGc— 日テレ (@nittele_ntv) November 25, 2022
芸能人監督グランプリ密着!滝沢カレンが黒柳徹子を…羽鳥慎一が斎藤佑樹を撮影!
芸能人が芸能人を本気で撮影するドキュメンタリー特番!滝沢カレンが撮った黒柳徹子の“知られざる日常”▼羽鳥慎一が追った“ハンカチ王子”斎藤佑樹の“第二の人生”
芸能人が「監督」となって芸能人のドキュメンタリーを本気で撮ると…同じ芸能人だからこそ引き出せた“素顔”、そして、めったに語られない“本音”が見えてきた…監督は、自らカメラを構え、編集、ナレーションまで担当。見たことのないドキュメンタリーをお届けします。
「芸能人監督グランプリ」の出演者
【MC】東野幸治、ホラン千秋
【監督】滝沢カレン、羽鳥慎一、フワちゃん
【VTR出演】上沼恵美子、草なぎ剛、黒柳徹子、斎藤佑樹
【ゲスト】安藤桃子、別所哲也
「芸能人監督グランプリ」黒柳徹子は妖精のような人
日本テレビ系バラエティー『芸能人監督グランプリ』が、12月2日に放送される(後7:00)。今、テレビ・配信・雑誌など、あらゆる分野で“リアル”なコンテンツが注目されているが、一流芸能人が「監督」となり本当に気になる芸能人に密着したら、どんなドキュメンタリーができあがるのかを検証すべく、4組の豪華な組み合わせが誕生した。
気になる4作品は、フワ監督が撮る『上沼恵美子』、滝沢カレン監督が撮る『黒柳徹子』、東野幸治監督が撮る『草なぎ剛』、羽鳥慎一監督が撮る『斎藤佑樹』。同じ芸能人だからこそ、スターたちの素顔を引き出すことに成功し、滅多に語らない本音に迫ることができた。
黒柳からは「夢って、9回くらいしか見たことないの」、斎藤からは「もう野球をやめたいぐらいに思っていたので…」との言葉が飛び出す。
滝沢カレン監督作品『徹子の大きな大きな物語』
滝沢コメント
人だけではまとめられない触っても触っても届かない妖精のような人。地球にいる人間っぽく徹子さんを映したくないです。
<ストーリー>
滝沢カレン監督が敬愛してやまない黒柳徹子。「おとぎ話のような徹子さんの魅力をもっと知ってもらいたい」とお茶目なお買い物から、動物とのあたたかな触れあいまで、自らカメラを持って撮影。そして、語ってくれた“ある後悔”と“これからの人生”
羽鳥慎一監督作品『斎藤佑樹 第2の人生とハンカチ』
羽鳥コメント
本人は希望もしていないのに「ハンカチ王子」って勝手に付けられて、これから「ハンカチ王子」と、どう付き合いながら第2の人生を生きていこうと思っているのかを聞いてみたいです。
<ストーリー>
かつて“ハンカチ王子”として時の人となり、去年プロ野球を引退した斎藤佑樹。「野球に恩返ししたい」と社長として歩み出した“第二の人生”に羽鳥慎一監督が密着。その中で語られた、16年前のフィーバーのこと、“宿命のライバル”田中将大のこと、そして、“ハンカチ”について…。
「黒柳徹子」について
「黒柳徹子」は、日本の女優、タレント、司会者、エッセイストである。日本史上最初のテレビ出演者のひとりで、ニュースショーのキャスターや、トーク番組の司会を女性では初めて務めた。愛称はトットちゃん、チャック。所属事務所は有限会社 吉田名保美事務所。
日本でテレビが放送を開始した1953年2月1日(日曜日)からテレビ出演を続ける、日本史上最初のテレビ女優である。テレビ草創期から活躍を続けるタレントの一人として知られ、日本史上最初のテレビ女優としては唯一、21世紀に至るまでテレビ番組のレギュラーを継続して持ち続けており、日本のテレビ放送史を代表する芸能人の1人であると言える。冠番組の『徹子の部屋』では、同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者として、記録更新中である。幅広い層が観るバラエティ番組に数多く出演しており、大御所同士だけでなく若手芸人とのトークも好評であるため、21世紀においても国民的人気を維持している。
『徹子の部屋』や『NHK紅白歌合戦』などの司会業、累計800万部を記録し、戦後最大のベストセラーとなっている『窓ぎわのトットちゃん』の著者、長年ユニセフ親善大使を務めていることで知られる。
テレビ番組だけでなく、舞台に出演したり、コンサートなどのイベントで司会を務めることも多い。新しい物好きで、2010年代以降ではスマホとガラケーの2台持ちでデコレーションを施した上で、SNSも活用し、特に福山雅治に勧められて始めたInstagramでは美的センスを活かして芸術作品のような映える画像を公開しており、10代から20代の若年女性にも好評である。黒柳も従来のテレビではありえなかった視聴者との直接の対話を新鮮に感じており、コメントもすべて読んでいる。
生い立ち
東京府東京市赤坂区(現・東京都港区)乃木坂に生まれ、父の音楽の練習場が洗足池近くに移ったため、旧東急目蒲線洗足駅に近い大森区(現・大田区)北千束町で育った。母が徹子を妊娠していた時、両親は男児が生まれるものと思い込んでおり、「徹」という名前を考えていたが、実際に生まれたのは女児だったため、やむを得ず「子」をつけて「徹子」にしたというエピソードがある。「黒柳」とサインを書くときには、柳の異体字である「栁」(木偏に夘)を使用する。
父は音楽家で、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)のコンサートマスターも務めたヴァイオリニストの黒柳守綱(旧姓田口)、母はエッセイストの黒柳朝(旧姓門山)。弟には幼くして亡くなった黒柳明兒、ヴァイオリニストの黒柳紀明、妹には元バレリーナで美容師に転身したエッセイストの黒柳眞理がいる。また、伯父には松竹蒲田撮影所の初代所長の田口桜村や、日本ニュースのニューヨーク支社長やアメリカ・メトロニュースの極東代表を務めた田口修治がいる。
幼少期は「問題児」とされたため、尋常小学校(現:公立小学校)を1年生の時に退学させられ、トモエ学園1年生に転校する。第二次世界大戦末期の1945年3月の東京大空襲をきっかけに、以前に北海道の母の実家から帰る汽車で青森の農家と隣り合わせた縁で青森県三戸郡(現・南部町)の諏訪ノ平に疎開する。
1945年8月の終戦後に東京に戻り、トモエ学園、香蘭女学校、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)声楽科卒業。
女優として
音楽学校卒業後オペラ歌手にはなれないと分かり、「自分の子どもに人形劇や絵本の読み聞かせを上手にできるお母さんになろう」と思い立って、「ひょっとしたら絵本の読み方も教えてくれるかもしれない」と新聞で見かけたNHK放送劇団の俳優募集の広告に応募、履歴書を持参すべきなのに郵送してNHKから注意されたり、筆記試験の会場を間違えて遅刻した上で、問題が分からず答案用紙の裏まで長所を書き連ねた上で、消しゴムで答案用紙を汚損するなどのトラブルに見舞われながら、約6,000人の応募者の中から第6次までの審査を経て13人の劇団員の1人として選ばれた。
NHK放送劇団では五期生で、同期には友部光子、里見京子、横山道代、幸田弘子ら。
放送劇団入社時の面接では「親に言ったらこんなみっともない仕事を(するのはやめろと言われた)…」、「こういう世界は騙す人が多いから気をつけろという話を聞く」などのマイナスな発言を繰り返したのにもかかわらず、採用に至った。
女優の志望動機は前述の通り「母親になった時に子供に絵本を読み聞かせられるようになりたかったから」だったが、1952年に翌年のNHKのテレビ放送に備え招かれていたアメリカ合衆国NBCプロデューサーのテッド・アレグレッティーの講演で「アメリカのテレビ局はスポンサーの影響でニュース・教養番組はテレビ放送全体の15%だが、一応公共放送が建前のNHKではニュース・教養番組が主になると聞いているので、世界の風俗・習慣・戦争を見る事が出来るので、永久的な平和がテレビによってもたらせる」を聞いて、プロとしての女優意識が目覚めた。
こうしてテレビ放送の開始を翌月に控えた1953年(昭和28年)1月にNHK放送劇団の一員となり、テレビ女優の第一号としてデビューした。
当初はラジオやテレビの通行人として出演しつつ、テレビの現場を学ぶ。
1954年、NHKラジオ第1で放送され、自身初の主演となったラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』(1954年 – 1957年)が開始した。
同番組は日本のラジオドラマ史上初めて大人の女性が子供の声を演じた番組である。「大人でも子どもの声を出せるはずだ」との劇作家・飯沢匡の発案により、NHK始まって以来のオーディションを経て、三男・トン坊役を演じて一躍有名になる。
以降も『チロリン村とくるみの木』(1956年 – 1964年)、『ブーフーウー』(1960年 – 1967年)などに出演し、さまざまなキャラクターの声を演じる。
子ども番組に加えて『若い季節』(1961年 – 1964年)、『夢であいましょう』(1961年 – 1966年)などの人気番組にも出演し、週6、7本のレギュラー番組を抱えるなど多忙を極めるようになる。
20代後半にはテレビとラジオのレギュラーが週に10本を数え、平均睡眠時間3時間という日が続いて、過労からすべてのレギュラー番組を降板し1か月の入院を余儀なくされる。
NHK専属女優時代の初めの頃、ディレクターは「私をずっと降ろしたがっていた」と述べている。
1958年の『第9回NHK紅白歌合戦』では、自身初となる『NHK紅白歌合戦』の紅組司会を務めた。それから22年の月日が経った1980年の『第31回NHK紅白歌合戦』で紅組司会に復帰し、1983年の『第34回NHK紅白歌合戦』まで4年連続、通算5回紅組司会を務めた。4年連続、通算5回の紅組司会という記録は、いずれも佐良直美に並び史上最多である。その32年後である2015年の『第66回NHK紅白歌合戦』では、総合司会として再度紅白の司会に復帰した。通算6度はNHKアナウンサー以外の女性の最多記録となっている。
1961年、第1回(昭和36年度)日本放送作家協会賞・女性演技者賞を受賞した。
舞台出身の俳優との間に演技力の差を感じていたことから、慕っていた杉村春子に文学座への入団を相談し、1961年に開設された文学座附属演劇研究所に3期生として入所。NHKを退社し演技を学ぶ。江守徹、高橋悦史らが同期。
文学座の分裂後、1970年に出演した東宝のミュージカル『スカーレット』(帝国劇場)でブロードウェイのスタッフとともに仕事をして親しくなり、作曲家のハロルド・ロームの夫人・フローレンスから「面倒見てあげるから、ぜひニューヨークにいらっしゃい!」と招きを受けて、もっと勉強したいとニューヨークへの留学を決意する。
1971年9月から1年間ニューヨークへ留学し、セントラル・パーク西隣のワンルームに生活する。ローム夫妻がニューヨークでの身元引受人となり、フローレンス夫人を「ニューヨークのお母さん」と呼んだ。『スカーレット』演出家のジョー・レイトンの夫人で元女優のイブリン・ラッセルの紹介により、スタニスラフスキー・システムに基づいてプロの俳優に指導する「メアリーターサイ演劇学校」にて演技を学び、開校以来初の東洋人の生徒となる。また、同じ建物の中にある「ルイジ・ダンススクール」でモダン・ダンスを学ぶ。アフターファイブには振り袖を着てカクテルやディナーなど社交の場に足を運び、「着物と洋服、どちらにも似合う髪型を開発したい」との思いから、ニューヨークで知り合って友人となったアメリカで活躍中のヘアメイクアーティスト・須賀勇介のアイディアを交えつつ、後にトレードマークとなる「タマネギヘア」を考案する。「あなたのように1人でぷらぷらしている人の目で世の中を見て、そのままの感性で好きに話してほしい」とのオファーを受けて日本初の女性司会者によるワイドショーで『徹子の部屋』の前身番組となる『13時ショー』(NETテレビ)の司会就任が決まり、放送開始前月の1972年9月に帰国する。
1976年のテレビ朝日の『徹子の部屋』の放送開始を機に、「役を演じながら司会もやると混乱を招く」「悪女役をしていたら、悪い人が話を聞いているみたいに思われる」との考えから、本人役などで出演した一部作品を除いてテレビでの女優活動を控えるようになる。
一方で、舞台女優として1989年より「海外コメディ・シリーズ」の上演を開始。劇作家・演出家の飯沢匡の発案により黒柳の主演で毎年秋に海外の喜劇を紹介する企画で、1994年に飯沢が死去した後は主に高橋昌也が演出を手掛けて、2016年秋で30回目を数えた。1997年には『幸せの背くらべ(英語版)』および『マスタークラス(英語版)』での演技により第38回毎日芸術賞ならびに第4回読売演劇大賞の大賞・最優秀女優賞を受賞、2013年には「永年の翻訳劇に対する情熱と功績に対して」の受賞理由により第38回菊田一夫演劇賞特別賞を受賞している。2017年秋の『想い出のカルテット〜もう一度唄わせて〜』では、同年8月末の右大腿骨骨折と手術を経て、設定を変更して車椅子で舞台を務めた。ライフワークとして30年間で32作品を上演し、2018年秋に上演の『ライオンのあとで』で幕を下ろした。継続を希望するファンの声を受けて、2019年10月には朗読劇『ラヴ・レターズ』の舞台に上る。
マルチタレントとして
1976年にはテレビ朝日で自身の冠番組『徹子の部屋』が開始。長寿番組となっている。2011年4月27日放送分(35周年記念SP第2弾『出張!徹子の部屋』)を以って放送8961回を迎え、「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」としてギネス世界記録に認定された。2015年5月27日には放送回数が通算10000回となり、上記の「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」を自ら更新し、再びギネス世界記録を受賞した。1995年には「橋田賞」を、1997年には「第23回放送文化基金賞」を受賞している。2006年には黒柳と『徹子の部屋』が第54回菊池寛賞を受賞した。受賞理由は「30年間休むことなく良質な対談番組を送り続けている努力」に対してである。
『徹子の部屋』開始と同じ1976年には、「主婦の選んだテレビパーソナリティーNO.1」に初めて選出され、1989年まで14年連続で選出された。
1978年からは、最高視聴率41.9%を記録する大ヒットになったTBSの音楽番組『ザ・ベストテン』が放送を開始し、黒柳は初回から1989年の最終回まで司会を務めた(なお、初期からコンビを組んでいた久米宏は1985年で降板した)。1978年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞する。
1970年代には『音楽の広場』『おしゃべりオーケストラ』などのNHKクラシック音楽番組の司会も大きな比重を占めた。ユーモラスな早口は同種番組としては異色だったが、芥川也寸志、尾高忠明らソフトな語り口の専門家たちとのコンビネーションも好評で、賑々しいが訊き上手でもあるというお茶の間のイメージを定着させている。
1981年、自身の著書『窓ぎわのトットちゃん』が出版された。単行本・文庫本を合わせて累計800万部を発行し、世界35カ国で翻訳された。累計770万部という発行部数は、日本国内において「戦後最大のベストセラー」となり、「トットちゃんブーム」が起こった。また、黒柳は同作で、「第5回路傍の石文学賞」やポーランドの文学賞「ヤヌシュ・コルチャック賞」などを受賞した。
1981年から1985年までの5年間と1987年には、高額納税者番付の俳優・タレント部門で、森繁久彌、大橋巨泉、石原裕次郎、三船敏郎、三田佳子ら時代を代表するタレントを抑えて1位となった。1985年には、タレントとしては珍しく政府の税制調査会に参考人として招かれ、その場で「現在の私の収入の90%が税金。1時間の番組の何分か話したらあとは全部税金。原稿用紙400字詰めの2行書いたら、あとの18行は全部税金。勤労意欲を失うことが無きにしもあらず。最高税率を10%下げて欲しい。」と発言した。この発言が影響を及ぼしたかは不明だが、2年後には最高税率が60%まで下げられている。
1983年には、「新鮮な発想と円熟した話術で視聴者の共感を呼び、新しい健全な娯楽番組の定着・充実に寄与した」として、第35回NHK放送文化賞を受賞した。
1984年より、国際連合傘下のユニセフ(国際連合児童基金)親善大使を務めており、現在でも精力的に活動している(詳細は後述)。
1986年にはTBS『世界・ふしぎ発見!』が放送を開始し、こちらも長寿番組になっており、黒柳は初回からレギュラー解答者として、毎回出演している。また、初回から毎回出演している人物は黒柳の他には総合司会の草野仁のみである。
1991年には「第7回東京都文化賞」および「外務大臣賞」を受賞している。
2000年代後半以降の活躍
2010年に「放送ウーマン賞」の日本女性放送者懇談会40周年特別賞を受賞。同年には、平成27年度文化功労者に選ばれた。2015年5月27日には『徹子の部屋』が放送回数通算10000回を達成した。
2017年にはこれまでの活躍が評価されて名誉都民に選ばれる。2020年には第29回石井十次賞を受賞。以後もテレビ番組『徹子の部屋』と『世界・ふしぎ発見!』にレギュラー出演するほか、声優や女優、司会者、国際連合児童基金の親善大使として幅広く活躍している。また、ほぼ毎年舞台に立ち続けている。
Instagramも積極的に活用しており、近況などを伝えている。2021年7月にはYouTubeに公式チャンネルを開設。
※「芸能人監督グランプリ」は現在配信されておりません。
「東野幸治」について
「東野幸治」は、日本のお笑いタレント、司会者、YouTuber。吉本興業所属。
兵庫県宝塚市出身。身長178 cm、体重73 kg、血液型はO型。兵庫県立宝塚高等学校卒業。
愛称はひがしのり(これは、髪の毛が濡れた際に頭に海苔がのっているような見た目だったことが由来となっている)。今田耕司と仲が良くコンビで仕事をすることが多く、今田とのコンビで「Wコウジ」と呼称されるが、正式なコンビではない。
1985年、高校3年生のときに吉本興業の新人オーディションを受け、星野勘太郎のモノマネをして合格し、そのまま芸人となる。合格商品はボールペン1本だった。当時、お笑いブームが終わりダウンタウンという新しい世代の芸人を中心に吉本興業が新たなムーブメントを起そうとしていて、そのオーディションの一環でダウンタウンが2丁目劇場で公開録音していた「心斎橋お笑い探検隊」(ラジオ大阪)というラジオ番組に出演する。番組に出演すると豪華商品がもらえると友達に誘われたのがきっかけであるが、もらえたのはボールペンだった。なお、同じオーディションをリットン調査団も受けていた。一時期、大学に通う友人に乗せられ大学受験を決意し芸人を休業するも受験に失敗し、その後は芸人活動に本腰を入れる。
若手時代は心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動、ダウンタウンが司会を務める公開生番組『4時ですよ〜だ』などに出演していた。番組開始当初は素人参加コーナー「ダウンタウンの欲望」の募集の告知を呼びかける「欲望の男」だけの役だったが、次第に頭角を現し、最後の半年は今田耕司・石田靖らとともに司会を任されることとなる。また『4時ですよ〜だ』が放送されていた頃、今田とのコンビで2丁目劇場の超若手が出演するライブイベント「2丁目jrたんけんたい」(上部組織にダウンタウンがメイン司会を務める「2丁目探検隊」というライブがあった)の司会進行を担当していた。この頃の月収は7 – 8万円程度で、とくに危機感も向上心も湧かなかった。
また、同時期に夕方の帯番組として放送されていた圭・修が司会を務める『素敵!KEI-SHU5』では、白いランニングにトレパン姿の「セニョール東野」というキャラクターで各地をリポートするVTR企画も担当(このセニョールのキャラは、当時の舞台上でのネタで演じられていたものだった)。
『4時ですよ〜だ』の終了後、今田らと共に、当時立て直しが急務とされていた吉本新喜劇の補強メンバーとされたが、当初は新喜劇の出演をどうしても受け入れる事ができず、芸人を引退し植木屋への転職を考えていた。しかし、今田らの熱心な説得により芸人引退を思い止まり、新喜劇では主に主役として出演する。
その後、今田らと共にダウンタウンが上京した1年後に東京へ進出。NSC出身ではないため、4期生で数か月先輩である今田などには敬語を使い、ほぼ同時期に芸能界デビューした木村祐一には、東野の方が数か月先輩ではあるものの同期として接し、5期生の辻本茂雄に対しては先輩として振舞っている。
東京進出以降は今田と「Wコウジ」としてのテレビ出演を経て、2000年代以降は司会者としての活動も増えている。
2020年2月23日よりYouTubeにて「東野幸治の幻ラジオ」というラジオ番組の配信を開始した。本番組はリビングで収録した音声を娘が編集してアップするという手作り番組で、吉本興業に頼らず作成している。長女がディレクターを務めており、東野は「娘D」と呼んでいる。
上京前まではおかけんたと同居していた。
私生活では1991年に一般人女性と結婚し、二女をもうける。2001年に離婚したが、2011年に復縁し再婚した。前述の「娘D」こと長女は夫婦で海外に居住しており、2020年8月24日に配信された「幻ラジオ」にて、東野から自身にとっては初孫となる女児を出産をした事が報告された。
コントの経験は豊富なものの、シリアスな芝居をさせると途端に大根役者になる。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』では彼の演技力を鍛えるためのコーナー(コーナー名は「龍としのぶ 俳優養成テレビ小説」)まで作られた。この企画では東野がセリフを言うシーンにだけ、台本に書かれている本当のセリフを字幕スーパーにして、画面下部に表示していた。これにより、ストーリーだけを見ればギャグの無いシリアスな筋書きのドラマだが、本人が劇中で発するセリフが台本のそれとは全然違うことがわかり、視聴者の笑いを誘発するという仕掛けが施されていた。
その後2001年に『明日があるさ』で久々のドラマ出演を果たしたが、演技力は全く成長しておらず、挙句には彼の演技のあまりの酷さに他の共演者のNGを誘発する始末となった(撮影初日のシーンで出したNGは8回)。そのため、本来ならNG同然の箇所も見受けられるが「これ以上の演技力は求められない」として放送されている部分もある。ガチガチの動きは浜田曰く「東野だけ時代劇だった」とのこと。
若手の頃Vシネマに出演し、ベッドシーンで騎乗位を行ったが、ガチガチで「高い高い」のようになっていた。
2004年に子供向け特撮ドラマ『戦隊シリーズ』の司令官役での出演オファーが来ていたことを自身の番組内で公表していたが、これは東映制作のスーパー戦隊ではなく、松竹制作の『魔弾戦記リュウケンドー』だった。後にこの役は諸処の事情から辞退し、同じ吉本興業所属の清水圭が演じる事となった。
尊敬する役者は萬屋錦之介である。
ファンは全員中年男性なため「Mr.好感度ピンポイント芸人」と評される。
井上公造から「東野さんの仕事の量と日本の景気は連動している」と言われたことがある。テレビ局側の立場に立つと、景気が悪いからといって大御所芸人を降板させることはできず、また若手芸人はギャラが安いので景気が悪くても使える。東野のような中堅芸人が一番切りやすいため、その仕事量で景気が把握できるという説で、実際2001年頃のデフレ不況の時、東野はレギュラーが8本なくなったことがあり、本人もこの説を支持している。
お笑いコンビのアンガールズは、2人とも東野のファンであることをきっかけに仲良くなり、その後コンビを結成している。
カメラの回っていない所では極端に寡黙で存在感もなく、本性はまったく感情を持ち合わせていないと島田紳助、松本人志らに揶揄された。
「ホラン千秋」について
「ホラン千秋」は、日本のタレント、キャスター、女優。アミューズ所属。東京都多摩市出身。
アイルランド人の父親、日本人の母親の間に生まれる。5歳の時、友人の母親から記念にモデルをやってみたらと勧められ、キッズモデルを始める。14歳で芸能事務所「アミューズ」に所属し、女優として活動を開始。高校在学中、2005年2月放送開始のスーパー戦隊シリーズ第29作『魔法戦隊マジレンジャー』の悪役、ナイ役でテレビドラマ初出演を果たす。
多摩市立豊ヶ丘中学校、東京都立国際高等学校、2011年3月青山学院大学文学部英米文学科卒業。2009年度学業奨励賞受賞。2009年から2010年にかけて一年間オレゴン州立大学に留学し、舞台を専攻。
留学を終え帰国後、すべての民放キー局アナウンサー試験を受けるも、いずれも不採用だった。その後は、フリーキャスターとして活動。
2017年4月3日より、TBS系列の報道番組『Nスタ』のキャスターに就任。
自身の姓『Horan』について、実際には「“ホーラン”」と読むとのこと。これは、母親が書類に記入する際に誤って音引きを抜いてしまい、“ホラン”で登録されてしまった事情によるものである。
ハーフのため周りからは社交的と思われがちであるが、実際はかなりの人見知りでインドア派。仕事が休みの日は、誘いが無い限り殆ど家から出ない。食事やテレビを見るとき以外は自分の部屋からも出ない。実家ではノーメイクでメガネ、部屋着は高校時代のジャージ、といった姿で一日を過ごす。
大学時代は、4年間通して学園祭には一度も行かず(一度だけ参加しようとしたが、校門前で引き返して、そのまま自宅に帰ってしまったという)、サークルや部活にも入らず、ほぼ学業と上述したスーパーでのアルバイトだけの生活という、地味で孤独な日々だったと述懐している。
事務所の同僚である吉高由里子とは下積み時代から交流があり、自著で対談している。
デビューから10年間ずっとロングヘアだったが、2011年にドラマ『陽はまた昇る』の役作りのためにショートカットにした。その後はキャスターやバラエティ番組の仕事が次々と入るようになったため、『THE BEAUTY WEEK AWARD 2014』授賞式では「まさか髪の毛を切っただけでこんなに変わるなんて」と感激していた。
Nスタで「ハグおじさん」という原稿を「ハゲおじさん」と読み間違える失態を起こしたことがある。その時原稿のフォントの「グ」が「ゲ」にしか見えなかったということだったが、それ以来この失態を忘れない戒めのためにその原稿をずっと楽屋に貼っておいているという。
※「芸能人監督グランプリ」は現在配信されておりません。
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