TBSで放送されているスポーツ情報番組「プロ野球ドラフト会議」2023の無料動画や見逃し配信などの無料視聴方法、再放送について紹介したいと思います。
気になる番組は何回も見たいし、TVer(ティーバー)やAbema TV(アベマ)、加入者の多いHulu(フールー)やNetflix(ネットフリックス)など、どういったサービスで観れるんだろう?って気になりますよね?
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「プロ野球ドラフト会議」2023
プロ野球ドラフト会議
未来の侍ジャパンはここから生まれる…今年はスター揃いの1位指名&即戦力ひしめく2位指名も生中継‼続けてドラフト特番「THE運命の1日」夢追う候補選手を徹底取材‼
今年は3時間超えの生放送‼大谷翔平・ダルビッシュ有・村上宗隆…侍ジャパンのほぼすべての選手が通ってきた「プロ野球ドラフト会議」⚾スター揃いの1巡目指名&即戦力ひしめく2巡目指名を生中継でお届け‼続けてドラフト特番「THE運命の1日」⚾フルタイムで働く公務員&中古車販売店の社会人選手‼ハンディを力に変えた名門校のエースに…熱血母ちゃんへ恩返しを誓う選手‼人生が交錯する1日、きょう夢は叶うのか⁉
「プロ野球ドラフト会議」の出演者
【本社スタジオ】
MC:中居正広
野球解説者:古田敦也
ゲスト:岡崎体育・関水渚・田中卓志・渡辺満里奈(五十音順)
進行:江藤愛(TBS)
速報情報リポート:小沢光葵(TBS)
【ドラフト会場】
解説:槙原寛己・工藤公康
実況:初田啓介(TBS)
リポート:伊藤隆佑(TBS)
【中継アナウンサー】
小笠原亘(TBS)・新タ悦男(TBS)・南波雅俊(TBS)
佐々木舞音(TBS)・古田敬郷(TBS)・西村俊仁(CBC)
井上雅雄(MBS)・米満薫(RKK)
セ・リーグ順位
1位 阪神タイガース
2位 広島東洋カープ
3位 横浜DeNAベイスターズ
4位 読売ジャイアンツ
5位 東京ヤクルトスワローズ
6位 中日ドラゴンズ
パ・リーグ順位
1位 オリックス・バファローズ
2位 千葉ロッテマリーンズ
3位 福岡ソフトバンクホークス
4位 楽天ゴールデンイーグルス
5位 埼玉西武ライオンズ
6位 北海道日本ハムファイターズ
「中居正広」について
「中居正広」は、日本の男性タレント、司会者、俳優、歌手、慈善活動家。男性アイドルグループSMAP全活動期のメンバー(1988年 – 2016年)。神奈川県藤沢市出身。芸能事務所のんびりなかい代表取締役社長。
神奈川県藤沢市生まれ。1986年、14歳の時にジャニーズ事務所に入所。同年の後楽園球場でのジャニーズ野球大会が初仕事である。その後、ジャニーズJr.内グループ『スケートボーイズ』のメンバーとなる。1988年4月、同グループから木村拓哉、稲垣吾郎、森且行(現・オートレース選手)、草彅剛、香取慎吾とともに選ばれ、男性アイドルグループ『SMAP』を結成。グループの中では最年長で、リーダーを務める。
1989年、TBSドラマ『時間ですよ 平成元年』において俳優デビュー。
1994年、フジテレビ『笑っていいとも!』のレギュラーとなり、2014年3月の番組終了まで20年間出演。
1995年、『味いちもんめ』において連続ドラマ初主演。テレビ朝日『サンデージャングル』においてスポーツキャスターを初担当。
1997年『第48回NHK紅白歌合戦』において、白組司会に抜擢される。25歳での白組司会は番組最年少記録となった。その後、通算6回司会を担当。2007年『第58回NHK紅白歌合戦』では紅組司会を担当。
1998年からフジテレビ『FNS27時間テレビ』の総合司会を3年連続で担当し、その後もナインティナインと共にを含め、通算8回総合司会を担当。2016年は司会者リレー方式で該当番組部で担当。
2000年3月31日、東京ドームにおいて行われた巨人の開幕戦(対戦相手は広島)にて、試合開始前の開幕セレモニーでの国歌「君が代」独唱を担当。
2004年、TBSのオリンピックキャスターを務め、2006年以降のオリンピック時も同局のキャスターを担当。
2009年、第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)において、テレビ朝日の「日本代表サポートキャプテン」に就任。
2009年、自身の私服を集めた写真集『私服だらけの中居正広増刊号 〜輝いて〜』が発売。同年のオリコン年間”本”ランキングのタレント本部門で1位を獲得するヒットとなった。以後、シリーズ化され第4弾まで発売。シリーズ累計で75万部を売り上げた(オリコン調べ)。
2009年、ドキュメンタリー映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(10月28日公開)のワールドプレミア(開催は米・ロサンゼルスで10月27日)に、日本で唯一のゲストとして招待を受け参加。
2013年、第3回ワールド・ベースボール・クラシックにおいて、日本野球機構により日本プロ野球史上初の公認サポーターである「WBC 侍ジャパン公認サポーター」に就任し、テレビ朝日とTBSのWBC中継番組にも出演。
2015年6月上旬、喉の腫瘍手術を行った。
2016年12月31日をもってSMAPが解散となったことに伴い、ソロタレントとなる。
2017年、第4回ワールド・ベースボール・クラシックにおいて、2大会連続で「侍ジャパン公認サポートキャプテン」に就任。
2020年2月21日、記者会見を開き、3月31日をもってジャニーズ事務所を退所し、4月から個人事務所「株式会社のんびりなかい」に所属することを発表。同事務所は、父の命日となる2月19日に設立している。
神奈川県出身ではあるが、自身のルーツは北海道であり、父・正志が北海道岩内町出身。婚期を逃し続ける中居を嘆いていたこともあった。2015年2月に喉頭癌のため死去。
三兄弟の末っ子である。
倹約家として知られ「ガムテープで補強された椅子を使い続けている」「セロハンテープで蓋を閉めた炊飯器を愛用していた」といったエピソードがある。また、父の正志も物欲がなく、父の日のお祝いを「俺を父親にしてくれた子供たちに感謝する日なんだから、お祝いはいらない」と言って断ったとされる。
好きな色は赤、真紅で、赤を絶賛している。
レギュラー番組の年内最後の収録ではスタッフや共演者に叙々苑などの比較的高価な弁当を差し入れする事が恒例となっている。
大食いであり、番組のロケ収録後に炒飯8人前と固焼きそば8人前を平らげたことがあったり、朝から炒飯や餃子を食べている。好きな食べ物は、卵かけご飯、生姜焼き定食、餃子、ラーメン、つけ麺、固焼きそば、炒飯、カツカレー、エビパン、鍋、豚軟骨のツミレ、クラムチャウダー、ハンバーグ、ベーコンエッグ、豚団子、刺身(特にマグロの赤身)、焼鮭、かしらの塩焼き、焼肉、イカ納豆、えのき、ピーマンの天ぷら、キュウリ、焼きそば、お好み焼き。
自身の歌唱力の不足に関しては度々自虐ネタにして笑いを誘っている。ただし、斉藤和義からは「ショーケンさん(萩原健一)とかそっち系の歌い方」「自信持った方がいいと思います」、出川哲朗からは「コレ言うと超怒るんだけどホントに怒るんだけど、ガチで歌ったら超うまいんですよ、それをテレビじゃ絶対やらないの」と肯定的な評価もなされている。
司会業で多くの人と接する上での処世術として「好きな人を作ってしまうと、苦手な人ができてしまう。そうなると苦手な人が来るとやり難くなる」という理由で「好きな人も作らないようにしている」と語っており「何か相性が合うなって言う人を作らないように気を付けていたら、いつの間にか嫌いな人がいなくなりました」とも述べている。
NHK『連続テレビ小説』への出演願望があることを明かしている。
自身が選択した大手芸能事務所からの独立に関しては安易に他人には推奨しないと語っている。特に独立直後には新型コロナウイルス感染症の世界的流行が発生したため、それに関連する苦労もあったことを言及している。
前述の通り、中居は2015年6月に喉の腫瘍を摘出する手術をしている。腫瘍が発見された際、主治医から「悪性だった場合は喉頭癌(の可能性もある)」と言われたため、上記の理由で父は死去したことから「すごいDNAだなと思った」と振り返っている。しかし、のちに他の番組にて医師の見解によると、良性のポリープでDNAは関係なく、喉頭癌の原因はDNAよりも加齢や飲酒、喫煙だという。
違法薬物の存在や薬物乱用について「やってはいけないことはやってはいけない。その1つに限るんじゃないでしょうか」「もし捕まったら(違約金を)払わないといけないと分かっていても、やめられないのがドラッグなのかなと思います」「10億も、20億も、違約金を想定しても、使いたいと思うのは、悪魔の薬なんでしょう」と批判的に語っている。
薬物乱用による逮捕者にミュージシャンが多いことに対する憤りも吐露しており、松本人志の「結局、何がアカンってすごくベタで申し訳ないけど、覚醒剤って人に迷惑かけるから、自分で勝手に楽しんで勝手に野垂れ死ぬ分には知らんけど、酒乱もそうなんですけど、人に迷惑かけるのは本当にやめてほしい」という発言にも「分かる」と同意した。
2020年7月22日に放送された水曜日のダウンタウンの「古今東西 日本人知名度ランキング」では、7位(93.2%)にランクインした。存命の60歳以下の人物としては、唯一のTOP10のランクインだった。
身長は本人によると「168㎝」であり、これは笑っていいともで行われた身長測定での168.5㎝と合致する。
インターネットショッピングを一度もした事がないという。
チャリティー活動
1995年3月に第67回選抜高等学校野球大会の開会式を中継したラジオ番組に電話出演。『被災地の人を勇気づけられるよう、一生懸命頑張ってください』という高校球児に向けたメッセージを送り、この日の出演料を全額ラジオ局の義援金係に寄付した。
2011年の東日本大震災発災後は友人たちと福島県を訪れてがれきの撤去や炊き出しに協力した。当時中居はこれについて「偽善と言われることに不安もあったけれど、今はそんなことを言っている場合じゃない」といった考えを語っていた。
東日本大震災発生後の3カ月で、SMAPのメンバー5人が日本赤十字社に寄付した義援金は少なくとも総額4億円以上であり、その内の2億円が中居によるものと報じたメディアもあった。現在も毎年3月11日の前後には義援金を寄付しているという。また、継続的に義援金を呼びかけていた『SMAP×SMAP』(フジテレビ)の終了後は、自身のラジオ番組『中居正広 ON&ON AIR』(ニッポン放送)で呼びかけを続けている。
2016年の熊本地震では1回目は単身(4月25日)、2回目以降は笑福亭鶴瓶・岡村隆史(5月7日)や香取慎吾(5月15日)と共に避難所や学校を訪れてラーメンやチャーハンの炊き出しや、アイスクリームや携帯用ゲーム機などを配ったり、マッサージチェア1台と電動足もみ器3台や子供向けのおもちゃなどを贈呈するといった活動を行った。
2020年の新型コロナウイルス蔓延の現状を鑑み「東京コロナ医療支援基金」と「LOVE POCKET FUND(愛のポケット基金)」にそれぞれ1,000万円を寄付した。
新型コロナウイルスの治療に携わる医療従事者に叙々苑の弁当の差し入れを度々行った事が報じられている。
後述した2021年の紺綬褒章の受章は国や地方公共団体などに私財を500万円以上寄付したこと、賞杯と漆塗りの木製の杯の授与は1,500万円以上寄付したことが称えられたことによるものである。
野球関連
小学生の頃に少年野球チームに所属していたが、本人によると野球肘により野球の道を断念したとのこと。野球フリークであり、プロ野球では読売ジャイアンツと原辰徳のファンであるが、1992年の『プロ野球ai』においては、「巨人・原辰徳や、阪神・掛布雅之に憧れた世代」と発表。阪神ファンの機関紙『月刊タイガース』200号において「湘南出身なのにタイガースファンの中居です」とコメントを寄せていたことが『宝島』の投稿コーナー「VOW」にも取り上げられた。また、山本圭壱が監督を務める草野球チームに所属していたことがある。
2013年の第3回ワールド・ベースボール・クラシックから侍JAPAN公認サポートキャプテンに就任している。
中居の野球・巨人好きは球界関係者にも広く知られており、特に原辰徳からは「(爆笑問題の)田中さんと中居くんだけはジャイアンツの選手だと思ってる」と言われている。また、様々な選手のルーティーンを真似る事がある。
番組で共演した経験のある清原和博とはプライベートでの交流はないが「キヨさんから学んだこといっぱいある」としている。2016年の逮捕後も気にかけており、2018年には著書『清原和博 告白』を自ら購入し読んだ感想を語ったり、2020年には清原のサイン入りの著書『薬物依存症』を関係者を通じて貰ったりしている。
SMAP・ジャニーズ関連
好きなSMAPのシングル曲として「Mistake!」を挙げている。理由として好きになる基準は「まずメロディーが一番大事でしょ。次ね、振り付けが好きか嫌いか。で、次、衣装が自分の好きなものかどうか。あと平均的に5人がかっこいいかってのがある」と語っており、それに該当するのがこの曲であるとしている。
2013年4月放送の『SMAP×SMAP SMAPはじめての5人旅スペシャル』にて兵衛向陽閣のカラオケスナックを貸し切り各メンバーがSMAPの曲を合計24曲歌い、最後の曲となったBEST FRIENDを聞いた際には感極まって号泣し「おれ100人だったら相手できる」「10人が突っかかってきても、おれ絶対SMAPを守れるよ」と発言した。
2013年、後輩グループ・Kis-My-Ft2の横尾渉・宮田俊哉・二階堂高嗣・千賀健永による派生ユニット・舞祭組をプロデュースし、『なかいさん』名義において作詞・作曲・振付を担当。
「プロ野球ドラフト会議」について
「プロ野球ドラフト会議」は、日本野球機構が開催する、新人選手獲得のために行われる会議である。正式名称は新人選手選択会議。
この会議は、毎年10月に一般社団法人日本野球機構(NPB)が主催し、新人選手選択会議規約に定められた手順に基づいて、新人選手との契約交渉権をプロ野球に属する各球団に振り分けるものである。2009年以降、東京都港区にあるグランドプリンスホテル新高輪内「国際館パミール」を会場として使用している。NPBでは新人選手選択会議の他に、育成選手獲得のための育成選手ドラフト(正式名称は育成選手選択会議)が行われる。
ドラフト会議で指名できる選手
ドラフト会議では、新人選手選択会議規約第1条に定められた新人選手が対象となる。すなわち、過去に日本プロ野球の球団に入団したことがない選手のうち、日本国籍を持っている、もしくは日本の中学校、高校とこれに準ずる学校、大学とこれに準ずる団体のいずれか(つまり一条校)に在学した経験をもつ選手である。日本の学校に在学中の場合には、ドラフト会議の翌年3月卒業見込み、大学の場合は4年間在学している選手であること。
指名出来ない選手
当該ドラフト開催年度の4月1日以降に退学した選手
所属する連盟にプロ志望届を提出していない(つまり進学若しくは就職予定の)学生・生徒(高校生は2004年から、大学生は2007年からの措置)
社会人野球のチームに入部した選手で中卒や高卒での入部の場合は入部後3年、それ以外の場合は2年を経過していない者(日本野球連盟との協定による。所属チームが廃部または休部した場合は除く)
前年のドラフト会議で指名し、その後入団に至らなかった選手(当該球団のみ)。ただし、いくつかの例外事項も存在する。
四国アイランドリーグplusやベースボール・チャレンジ・リーグといった国内の独立リーグは社会人野球と同様に扱われるが、プロ志望の選手については、所属初年度から指名することが可能である。これは四国アイランドリーグが発足した2005年にリーグからの要望を受けて行われたもので、その後発足したベースボール・チャレンジ・リーグでも踏襲された。日本プロ野球を介さずに直接メジャーリーグや海外の独立リーグなど、日本国外のチームに在籍した選手についても、ドラフト指名が原則として義務付けられている。
過去のドラフト指名を拒否し外国球団と契約を行った場合の指名凍結の特例
プロ志望届を提出したドラフト対象選手がドラフト会議の指名を拒否して外国球団と契約した場合、高校生は帰国から3年間、高校生以外は2年間ドラフト指名凍結選手となり、ドラフト指名を行うことはできなかった。
過去のオリンピック開催時の指名凍結選手の特例
夏季オリンピックにおける野球競技で、アマチュア選手のみしか出場できなかった時代(1984年・ロサンゼルスから1996年・アトランタまで)には、アマチュア側が五輪強化選手を指名凍結選手としてリストアップし、その選手に関しては当該オリンピック終了までドラフトの指名をしないように指定した(例:アトランタ五輪時の小野仁)。但し、指名凍結選手となった場合、オリンピック開催後のドラフトにおいて、中・高卒3年、大卒2年の凍結期間に関係なく指名できた。
契約交渉権の有効期間
ドラフト会議によって得られるのは、選手との契約交渉権である。したがってドラフト会議で指名した後に選手契約ができなかったか、選手が契約を破棄した場合は、指名選手の入団には至らない。選手契約交渉権の期限は、その選手との契約交渉権を獲得したドラフト会議の翌年3月末までであり、それまでにその選手と契約し支配下選手として公示することができなければ、契約交渉権は無効となる。社会人野球チームの所属選手については、この期限が翌年1月末までとなっている。
選択会議
新人選択会議規約では、高等学校在学生の選手を対象とした「高校生選択会議」(毎年10月1日~14日)、高等学校在学生以外の選手を対象とした「大学・社会人ほか選択会議」(毎年11月10日~22日)、の2つの会議を招集するよう定められているが、2008年度以降一括開催されている。
選択会議の選択方法
各球団は獲得を希望する選手がいなくなった段階で選択の終了を宣言し、それ以後の指名に参加することはできない。
ウェーバー方式で用いられる「球団順位の逆順」とは、会議1週間前におけるペナントレース順位の逆順(最下位球団が1番目となる)となる。セ・パ両リーグの同順位球団の先順については、以下により決定する。
(2014年まで)
会議開催年度のオールスターゲームに勝ち越したリーグ
1.で決定できない場合、会議開催年度のオールスターゲームの得失点差が優位のリーグ
1.2.で決定できない場合、抽選
(2015年から2018年まで)
会議開催年度のセ・パ交流戦に勝ち越したリーグ
1.で決定できない場合、会議開催年度のセ・パ交流戦の総得失点差が優位のリーグ
1.2.で決定できない場合、抽選
(2019年から)
セ・リーグとパ・リーグ1年おきに変更(2019年はセ・リーグ、2020年はパ・リーグ)
1巡目は入札抽選である。つまり、参加する全球団が同時に選手を指名して、指名が重複した場合には抽選を行う。抽選に外れた球団については、抽選に外れた球団のみで再度入札抽選を行い、全球団の1巡目指名選手が確定するまでこれを繰り返す。
2巡目は「球団順位の逆順」にウェーバー方式で選択。
3巡目は2巡目と反対の順番(逆ウェーバー方式)で選択。
4巡目以降は、ウェーバー方式と逆ウェーバー方式を交互に行い、すべての球団が選択の終了を宣言するまでこれを続ける。ただし、指名選手の合計が120人に到達した場合は選択の終了を宣言していない球団があっても終了する(例えばある巡目において指名続行球団が3球団残っている場合、その時点で指名選手の合計が118人(上限到達まで残り2人)であれば、そのうちの指名順上位2球団までしか指名できない)。
育成選手選択会議
選択会議で指名選手が120人未満であった場合に選択会議終了後に行われる。支配下登録選手ではなく育成選手の獲得を目的とした会議である。
育成選手選択会議の選択方法
指名する選手がいる球団のみ指名する旨の意思表示をして選択会議に参加する。また、選択する意思表示をしても1人も指名しないことは可能である(実例として、2019年ドラフトにおける横浜DeNAが挙げられる)。
ウェーバー方式、逆ウェーバー方式を交互に行い、すべての球団が選択の終了を宣言するまでこれを続ける。
ドラフト制度の変遷
1964年、パ・リーグオーナー懇談会において時の西鉄ライオンズ社長・西亦次郎がNFLに倣ったドラフト制度導入を提案。
1965年11月17日、第1回ドラフト会議が開催された。事前に各球団が獲得を希望する選手(30名以内)に順位を付けた名簿を提出して、名簿1位が重複した場合には抽選を行い、外れた球団は名簿2位の選手を代わりに獲得するというようにしてドラフト1位選手を確定するという独特の方式で行われた。これはドラフト1位の指名だけであり、ドラフト2位以下は通常のウェーバー方式と逆ウェーバー方式での指名を交互に行った。
1966年には、社会人と高校生のうち国体に出場しないものを対象とする9月の第1次ドラフトと、大学生と国体出場者を対象とする11月の第2次ドラフトの2回を開催した。
1967年に、それまでの名簿を提出する制度は廃止され、あらかじめ抽選で決めた指名順に基づいて順番に選手の指名を行うこととなった。この際、奇数位の指名は降順、偶数位の指名は昇順に行う。これにより、2位指名でのウェーバー方式で保たれていた下位球団の優先権が消滅した。
1978年にも制度を一新し、全球団が同時に一人ずつ選手を指名し、重複した場合に抽選を行う方式が採用された。1位の指名に関しては1965年から1966年に採用されていたものと似ているが、2位以降も続ける点が異なる。抽選で外れた球団のみが対象であるが、奇数位はウェーバー方式、偶数位は逆ウェーバー方式で代替選手を指名することで、下位球団がわずかながら優遇されるようになった。
1991年からは、4位まではそれまでと同様に行い、5位以降の指名はウェーバー方式、逆ウェーバー方式を交互に行うように改められた。この年からドラフト外入団が廃止された。
1993年、有力な選手が希望球団に入団できるように「逆指名制度」が導入された。これは、高校生以外の新人選手について、入団を希望する球団(2球団以上でも可。ただしそのような例はなかった。)を選手が指名し、指名された球団がドラフト会議でこの選手を指名することで優先的に獲得できるというものである。逆指名が適用されるのは1位と2位の選手だけであり、3位以降はウェーバー方式、逆ウェーバー方式を交互に行うことになった。
2001年、逆指名に代わり、「自由獲得枠」が設けられた。この枠自体は逆指名とほとんど同じもので、実質的に変更されたのはこの枠を1つ使用する際の指名順序が統一されたことのみである(以前は逆指名選手が1人の場合でも1巡目の指名に参加できた、詳細は以下「2001年から2004年までのドラフト制度」参照)。自由獲得枠の使用・不使用により指名できない巡目ができるようになり、この年から2007年までは順位に「位」ではなく「巡目」を用いる。
2005年からは、自由獲得枠は「希望入団枠」に改められ、10月に高校生を対象とするドラフト、11月に大学生や社会人などを対象とするドラフトの2回に分けて行われることとなった(詳細は以下「2005年から2006年のドラフト制度」参照)。また、2005年に限り、育成選手を選択するための育成選手ドラフトが12月に開催されたが、2006年以降は通常のドラフト会議に続いてこれを行う。育成選手についての詳細は育成選手制度の項を参照。
2007年に西武ライオンズの裏金による不正が発覚したことをきっかけに、裏金の温床となる懸念から希望入団枠廃止の議論が持ち上がり、当年度の会議より希望入団枠が廃止された。
2008年より、高校生選択会議と大学・社会人選択会議が再び統合され、一括開催となった。
2001年から2004年までのドラフト制度
自由獲得枠
ドラフト会議以前に各球団2名までの選手を契約締結内定選手として自由に獲得することができる。
高校生やこれに準ずる選手を獲得することはできない。
使用は義務ではなく、使う場合でも獲得人数を1人のみとするか上限の2人とするかは各球団の自由である。
自由獲得枠によって獲得された選手は、ドラフト会議における通常の選手指名で他球団に指名されない。
通常の選手指名
各球団は獲得を希望する選手がいなくなった段階で選択の終了を宣言し、それ以後の指名に参加することはできない。
1巡目は自由獲得枠を使わなかった球団のみが参加でき、参加する全球団が同時に選手を指名して、指名が重複した場合には抽選を行う。抽選に外れた球団のみでこれを繰り返して指名選手を確定する。
2巡目は自由獲得枠を1つ使った球団のみが参加でき、ウェーバー方式で指名選手を確定する。
3巡目は自由獲得枠を使わなかった球団のみが参加でき、ウェーバー方式で指名選手を確定する。
4巡目以降は逆ウェーバー方式とウェーバー方式を交互に行い、自由獲得枠を含む指名選手が全球団合わせて120名になるか、すべての球団が選択の終了を宣言するまでこれを続ける。
2005年から2006年のドラフト制度
導入の背景
2004年に明治大学の一場靖弘に対し、いくつかの球団の関係者が自由獲得枠での獲得を目指して裏金を渡していた問題(一場事件参照)が発覚した。この事件の元凶は、上に示した当時のドラフト制度にあるとされ、これを改めることになった。
改正内容に関しては、ドラフト制度の中で契約金と契約順が制限されている事が裏金を使う温床になったのであり、自由に新人選手を獲得できるようにすれば、裏金が生まれる必然性がなくなると主張しより自由競争に近い方式を求めた球団と、ドラフト制度の中に中途半端に自由競争を持ち込む自由獲得枠という制度が裏金の温床になると主張し、自由獲得枠を撤廃し完全ウェーバー方式のドラフトになれば裏金は発生することはないと主張する球団とがそれぞれの希望に沿った制度改正を主張した。
裏金問題の解決を目指して始まった議論だったが、各球団ともに自らが有力な選手が獲得できるような制度を求めたまま対立し、意見が一致することはなかった。妥協案として、試行的に2005年と2006年の2年間は、自由獲得枠の名称を希望入団枠と変更した上で枠を2から1に減らしたドラフト会議を行った。
希望入団枠
ドラフト会議以前に各球団1名までの選手を契約締結内定選手として自由に獲得することができる。
希望入団枠を使って高校生やこれに準ずる選手を獲得することはできない。
希望入団枠を使うか使わないかは各球団の自由であるが、事前にどちらにするかを申請しなければならない。
希望入団枠を使うことを申請したものの契約締結内定選手が得られないこともある。
希望入団枠によって獲得された選手は、ドラフト会議における通常の選手指名で他球団に指名されない。
高校生ドラフト
高校生のみを対象としたドラフト会議で10月に開催される(2006年は9月に開催)。
各球団は獲得を希望する選手がいなくなった段階で選択の終了を宣言し、それ以後の指名に参加することはできない。
1巡目は参加する全球団が同時に選手を指名して、指名が重複した場合には抽選を行う。抽選に外れた球団のみでウェーバーによる代替選手の指名を行う。1巡目の指名を行わなくてもよく、その場合は事前に申請する。
2巡目は希望入団枠を使わないことを事前に申請した球団のみが参加でき、ウェーバー方式で指名選手を確定する。
3巡目以降はウェーバー方式と逆ウェーバー方式を交互に行い、すべての球団が選択の終了を宣言するまでこれを続ける。
大学生・社会人ほかドラフト
大学生や社会人など、高校生以外の新人選手を対象としたドラフト会議で11月に開催される。
各球団は獲得を希望する選手がいなくなった段階で選択の終了を宣言し、それ以後の指名に参加することはできない。
1巡目は希望入団枠を使うことを事前に申請したものの契約締結内定選手が得られなかった球団のみが参加でき、ウェーバー方式で指名選手を確定する。
2巡目は高校生ドラフトで1巡目の指名を行わなかった球団のみが参加でき、ウェーバー方式で指名選手を確定する。
3巡目以降はウェーバー方式と逆ウェーバー方式を交互に行い、希望入団枠と高校生ドラフトを含む指名選手が全球団合わせて120名になるか、すべての球団が選択の終了を宣言するまでこれを続ける。
各球団は、通常の指名に続き、育成選手を指名することができる。
指名人数制限の推移
1965年 – 1966年:名簿登載者のみ。
1967年 – 1973年:人数制限なし。
1974年 – 1977年:各球団6名以内。
1978年 – 1980年:各球団4名以内。これに関しては、3年で元の人数に戻った。その理由として、社会人側からドラフト外で大量に選手を取られることに対する懸念が伝えられたというのが建前で、本音は、西武とプリンスホテルの乱獲に歯止めをかけるためとされる。
1981年 – 1990年:各球団6名以内。
1991年 – 1994年:各球団10名以内。
1995年 – 2000年:各球団8名以内(1999年 – 2000年は指名人数が8名未満の球団があった場合、全体の合計が96名以内なら9名以上10名以内で指名も可能)。
2001年以降:12球団合計で120名以内であれば人数制限なし(自由獲得枠、希望入団枠、育成選手を含む)。※1
※1:2008年以降、国内の独立リーグ所属選手や外国のプロ野球選手を指名した場合は人数制限に含まない。
指名選手の表示
開始当初から1988年までは、指名選手の発表は司会者によって読み上げられ、その後1位指名確定選手についてはパネルに手書きされた紙を貼り付けていた。
1989年からは指名選手は発表と同時に会場に設えたモニターテレビで表示し、重複指名・ならびに2位以下の選手についても表示されるようになった。
ドラフト会議の司会
伊東一雄(開始当初 – 1991年)パシフィック・リーグ職員
1992年、1994年から2008年までは日本野球機構の職員が担当
渡辺謙太郎(1993年)
関野浩之(2009年 – )
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